桑田義備(中2回)氏の文化勲章受章記念色紙

2017年03月02日(木)更新
 文化勲章を受章した久敬会員は2人いる。昭和36年に受章した川端康成(中18)氏のことはよく知られているが、京都大学名誉教授の桑田義備(くわた・よしなり)氏のことはほとんど知られていない。
 『創立90周年記念誌』P42に、桑田義備(中2)氏が染色体を描いた色紙の写真があることをご存知だろうか。


 
 この色紙は久敬会館の金庫に大切に保管されている。
 昭和37年11月3日に「染色体構造の研究」によって、桑田氏が文化勲章を受章された記念に書かれたものである。色紙の裏には「理学博士 桑田義備氏筆 昭和37年11月13日 於大徳寺内 黄梅院」とあるので、受章後、間もない頃に染筆されたことが分かるが、その経緯は、当時の「久敬会報」を調べても記述が見つからないので、残念ながら不明である。
 色紙はいかにも植物細胞学者にふさわしく、染色体が描かれたもの。
 桑田氏は明治15年10月5日生まれ。徳川義親によって設立された徳川生物学研究所の所長を大正7年に務め、その後、京都帝国大学に赴任。その業績は、各国の細胞学の著書、論文に広く引用され、高く評価されていたので、昭和28年に日本学士院賞を受賞し、昭和37年に文化勲章を受章されたのである。
 亡くなられたのは昭和61年8月13日。100歳近い長寿だった。
 桑田氏についての記録はあまり残っていないが、昭和38年2月20日発行の「久敬会報」号外で、杉本傳会長は「新入会の皆さん」と題した挨拶文の中で、文化勲章受章者の桑田氏について、次のように触れている。
《桑田さんは80歳を既に越えておられますが、「未だ研究せねばならないことが残っている」といって今でも毎日研究に明暮しておられます。》
 そして、杉本会長は、桑田氏に続いて文化勲章受章者が久敬会員から出ることを願っている。
 同じ号には何人かが「先輩よりの言葉」を新入会員に寄せているが、桑田氏も「座右銘を贈る」と題して、「私が平素大切にしております三つの言葉をおおくりします」と、次のような「座右の銘」を書かれている(個々の説明は省略)。
《一、 太虚 二、ゆっくり急げ 三、努力》
 昭和50年代には顧問を務められるなど、久敬会との関わりの深かった桑田氏のことが忘れ去られている感のあるのは残念である。
 なお、国立遺伝学研究所(三島市)が、平成28年12月27日の「開運! なんでも鑑定団」に出品した、チャールズ・ダーウインの『種の起源』の初版版がなんと750万円の高額評価だったが、これは桑田氏が若手研究者のために寄贈されたものだという。
 

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