第3回 久敬会ミニ講演会のご報告(top)

2015年02月17日(火)更新
第3回 久敬会ミニ講演会
演題: 三島の古墳を訪ねて
講師: 吉村 健(茨木高校社会科教員)
日時: 2015年1月24日(土)14時~16時10分
参加: 25名
担当行事委員: 辻本、安田、根来、中西

 講師の吉村氏は、茨木高校と縁があり、2度目の勤務でその9年目を迎えられている。学校では指導教諭、120周年記念誌講師編纂委員長と多忙の中、三島地区にある古墳について講演いただいた。茨高のある北摂の地、なかでも三島地区はまさに弥生時代や古墳時代の遺跡の宝庫である。校舎建て替えの際新庄遺跡が発見されたこと、旧本館AB間の中庭に長らく長持型石棺が置かれていたことなどは、必然のなせる業だったのだという思いを抱かされた。穏やかな口調から出てくる古墳への熱い思いの詰まった130分ノンストップの講演は、時間の経過を忘れるほどだった。

※ 「摂津・三島西部の古墳時代後期首長墓」が、大阪府立近つ飛鳥博物館(南河内郡)
   特別展示室で1月24日(土)から3月22日(日)まで展示されています。
   興味のある方はそちらもご覧ください。
 
 
【講師プロフィール】
 中学生の頃から古墳に興味を持ち、高2の夏には大学で考古学を学ぶことを決意。岡山大学では近藤義郎、春成秀爾両先生の薫陶を受ける。就職する際、発掘技師になるか教員になるかで悩むが、研究の成果を社会に還元する仕事により強い魅力を感じ、教員の道を選ぶ。茨木高校勤務(1984~1990年度・2006年~現在)のほか、弥生文化博物館(1991~93年度・2003~05年度)等にも勤務。
 
【講演内容】
 以下の文は講師からいただきました。
久敬会ミニ講演会(第3回)
2015年1月24日(土)
「三島の古墳を訪ねて」講演要旨
大阪府立茨木高等学校
指導教諭 吉村 健

 茨木高校の地元である三島地域には多くの古墳があり、古墳時代の各時期(前期・中期・後期・終末期)の代表的な古墳をひととおり見ることができます。講演会では、日本史の授業でも取り上げている各時期の代表的な古墳を中心に紹介しました。

1.() 金 山(きんざん)古墳
 全国的にも著名な前期の前方後円墳で、墳丘長は約110mあります。1947年に京都大学考古学研究室によって後円部の竪穴式 石 槨 (せきかく)が発掘され、青銅製の鏡12面、腕輪形石製品7点など貴重な副葬品が見つかりました。鏡の中には、古代中国の王朝である新で造られた方 格(ほうかく)規矩 (き く )()神 (しん)鏡や、魏で造られたという説が有力な三角縁神獣鏡などが含まれています。これらの遺物は現在、大阪府立(ちか)つ飛鳥博物館で常設展示されています。なお、この古墳は2003~04年に京都大学考古学研究室によって墳丘の発掘調査が行われ、葺石や円筒埴輪が確認されました。

2.太田茶臼山古墳(現・継体天皇陵)
 中期の前方後円墳で、墳丘長約226mは北摂最大です。墳丘の周囲に周濠、さらにその外側に周庭帯が廻っていること、くびれ部(前方部と後円部が接続する箇所)に造り出しがあること、周庭帯の外側に (ばい)(ちょう) と呼ばれる小古墳があることなど、中期古墳の特徴をよく備えています。現在は宮内庁によって「継体天皇三嶋藍野陵」に指定されていて立ち入りや発掘調査ができないため、どういう埋葬施設や副葬品があるかは不明です。ただ、他の中期の大型前方後円墳から類推して、竪穴式石槨に 長 持 形 (ながもちがた)石棺が安置されている可能性が高いと考えられます。周濠の外側、宮内庁の管理区域外のところでは狭い範囲ながら発掘調査が行われていて、5世紀の円筒埴輪が確認されています。継体大王は6世紀前半の人物ですから古墳の示す年代とは合致しません。真の継体大王の墓は高槻市の今城塚古墳というのが考古学界の定説です。
 ちなみに長持形石棺は、大正時代以来、長年、本校に高槻市の前塚古墳で出土したものが置かれていました。現在、この石棺は近つ飛鳥博物館で常設展示されていて、本校には複製品が社会科教室に置かれて日本史の教材として活用されています。

3.今城塚古墳
 後期の前方後円墳で墳丘長は約190m、二重の周濠がめぐっていて総長は350mもあります。墳丘の形態や出土した埴輪から6世紀前半の築造と考えられ、この時期の前方後円墳としては全国最大で、真の継体大王の墓という説が有力です。墳丘は戦国時代に城として再利用されたためかなり崩れていますが、1997年から10年間、高槻市教育委員会によって継続的に発掘調査が行われた結果、北側の内堤(内濠と外濠の間)で、家、巫 女(み こ)、武人、水鳥などさまざまな形象埴輪が並ぶ埴輪祭祀場が見つかり、大王陵の埴輪祭祀の実態が初めて明らかになりました。その他にも、後円部で墳丘にしみこんだ雨水を排出するための「墳丘内石積」と排水溝、巨大な横穴式石室を支えた「石室基盤工」が発掘されるなど、多くの貴重な発見がありました。現在、古墳は史跡公園として整備・公開され、発掘された埴輪群や石棺の破片などは古墳に隣接する高槻市立今城塚古代歴史館で展示されています。

4.新池遺跡〔ハニワ工場公園〕
 太田茶臼山古墳や今城塚古墳で使われた埴輪を生産していた工場の遺跡です。遺跡の存在は半世紀以上前から知られていましたが、住宅建設に先立って1988年から行われた発掘調査で埴輪を焼いていた登り窯18基と、埴輪を製作していた大形の方形竪穴建物3棟などが見つかり、『日本書紀』(きん)(めい)天皇23年条に記されている「摂津国三島郡埴廬(はにいお)」に相当する施設と考えられます。遺跡は国史跡に指定されて史跡公園として整備・公開されています。

5.(みの)(はら)古墳
 帝人の研究所の敷地内にある古墳で東西16m南北20mを計ります。しかし、墳丘は周囲がかなり削られているので、もとは直径32m程度の円墳と推定されています。墳丘の内部に全長約14mの見事な横穴式石室があり、実際に中に入ることができます。石室の中には2基の家形石棺が置かれていますが、これだけ立派な石棺は北摂ではなかなか見ることができません。発掘調査が行われておらず正確な時期は不明ですが、6世紀末ないし7世紀初めと推定されています。
 講演会では以上のほかに、授業では取り上げていないが重要な古墳として安満(あ ま)宮山古墳、闘 鶏 山(つ  げ やま) 古墳、総持寺古墳群、(かい)北 塚( ぼう づか) 古墳、阿武山古墳も紹介しました。以下、各古墳の重要なポイントを簡単に示しておきます。

6.安満宮山古墳
 ・三島地域で最古級の古墳のひとつ。青龍三年(235年)の銘を持つ方格規矩四神鏡、三角縁神獣鏡などが出土。

7.闘鶏山古墳
 ・未盗掘の竪穴式石槨が確認され、ファイバースコープで内部を調べたところ、方格規矩四 神鏡や三角縁神獣鏡が副葬されていることがわかった。

8.総持寺古墳群
 ・太田茶臼山古墳の約1km南に位置する中期の群集墳。東西約130m、南北約110mの範囲  に約40基の小方墳が密集している。新池の埴輪窯で造られた埴輪が使われており、太田茶  臼山古墳の被葬者との関連が注目される。

9.海北塚古墳
 ・直径25m以上の円墳と推定される後期古墳。横穴式石室の中から環頭大刀の柄頭や馬具、  須恵器などが出土。これらの遺物は3月22日まで大阪府立近つ飛鳥博物館の冬季特別展「歴史発掘おおさか」で展示されています。ぜひ、ご覧ください。

10.阿武山古墳
 ・1934年、京都大学地震観測所の工事中に発見された。終末期(7世紀)の古墳で、横口式  石槨(内法の長さ約2.6m)の中に夾紵棺を収めている。玉枕、冠帽という特殊な副葬品  があり、藤原鎌足の墓という説が有力。
 
 講演会の最後に、生徒がホンモノの考古資料にふれる機会を作りたいという思いから、校舎の建て替えにともなう発掘調査で見つかった新庄遺跡の出土品(弥生土器と石器)を2008年度から社会科教室で展示していること、毎年12月に日本史を選択している生徒全員を対象に茨木市立文化財資料館の見学会を行っていること、2012年度の後期には文理学科の専門科目「課題研究」のひとつとして「考古学入門」を開講し、中条小学校遺跡で発掘体験を行ったことも紹介しました。
 
1.紫金山古墳に副葬されていた青銅鏡群
(出典:『大阪府立近つ飛鳥博物館図録29 大阪府の主要古墳 紫金山古墳』(2003年))
2.太田茶臼山古墳の全景
(出典:『大阪府立近つ飛鳥博物館図録18 百舌鳥・古市  門前 古墳航空写真コレクション』(1999年))
3.前塚古墳の長持形石棺
  (大阪府立近つ飛鳥博物館にて筆者撮影)
4.今城塚古墳の埴輪祭祀場の復原
  (筆者撮影)
5.新池遺跡(ハニワ工場公園)の現状
  (筆者撮影)
6.耳原古墳の横穴式石室
  (筆者撮影)
7.茨木市立文化財資料館の見学会
  (学芸員の引率で収蔵庫を見学)
8.中条小学校遺跡での発掘体験
  (古墳の周濠を掘り下げる)


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