私ども高校第29期は今年2024年4月の大阪での学年同窓会に続き、11月に関東地区での学年同窓会も開催しました。
高29期は1977年卒業ですので、関東地区同窓会では「七夕会」という愛称を使っています。11月9日に銀座7丁目にある東京三田倶楽部にて17時から開催しました。50名弱の方々が参加され、大阪からも6名の方々の参加をいただきました。また、遠くは青森からご参加いただきました。
最初の1時間程度は、フリートークの時間を設け、バイキング形式の飲食をしながらご歓談いただきました。その後、皆様が打ち解けてきたところで、クラスごと(1組~10組)にクラス代表者を中心に各人が近況を披露しました。
茨高時代の思い出話に花が咲き、50年前のことがついこの間のようなひと時を過ごすことが出来ました。また、50名程度と多くはない参加者でしたが、参加された方々からは、じっくり話をすることが出来て楽しかった、初めて会った参加者が実は中学が同じだったことが分かり、新しい気づきが出来て良かったなどという感想もいただきました。
最後に全員で校歌「天つ空見よ」を斉唱し、再会を約束して七夕会を終了しました。 その後、近くのビアレストランで2次会も行いました。
ご参加いただいた皆様には感謝申し上げます。時期を見てまた集いましょう。ありがとうございました。(瀧山裕二 記)
◆久敬会イベント第1回 ハイキング「信費山と、古代の山城・高安城跡をたずねる」の報告◆
紅葉の信貴山と、古代の山城・高安城跡をたずねるハイキング
日時 2024年12月1日(日)
案内人 岡田敏昭(高38回) 岡田知子(高39回) 参加者 18名
今回で4回目の開催となる岡田夫妻のガイドによるハイキングは、登り190m、下り420m、距離約6.2㎞の信貴山周辺の史跡を訪ねる歴史ハイクでした。おだやかな晴天のもと、JR王寺駅からバスで信貴大橋バス停に向かい、朝護孫子寺(ちょうごそんしじ。飛鳥時代の創建)、信貴山、松永久秀(戦国、安土桃山時代の武将)の屋敷跡、高安城(たかやすのき。飛鳥時代)倉庫跡、高安山、そして近鉄信貴山口駅近くの開山塚(かいざんづか)古墳(古墳時代後期)の紅葉を楽しみながら訪ね歩きました。
今回の参加者は高21回~高74回。50年以上の学年差にも関わらず、皆さん和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。
朝護孫子寺の仁王門をくぐったところで当日のルート解説があり、名物の寅饅頭、よもぎ饅頭で腹ごしらえしてから歩き始めました。張り子の首振り大虎「世界一の福寅」の前で集合写真をとり、厄除け大根炊き会でにぎわう境内を通り抜け本堂へ、本堂の舞台からは奈良盆地の中南部が一望できました。空鉢護法堂がある信貴山頂を経て、高安山を目指します。
途中、松永久秀の屋敷跡でお楽しみのお昼ご飯。まっすぐ伸びた杉の林の中には切岸が残され、ところどころ山城の柵が再現されていました。
そして高安城倉庫跡へ。礎石が等間隔に並ぶ平坦地からは若草山、生駒山が、さらに目を凝らすと東大寺大仏殿の屋根も見えました。
信貴生駒スカイラインを横断すると、高安山の山頂。残念ながら周りを木に囲まれ見晴らしはきかず。集合写真を撮って先を急ぎました。
高安山気象レーダー観測所の横を通過し開運橋。この橋の下から「おおみちルート」が始まります。ここは足元が悪いうえに転げ落ちそうな急な坂道で、慎重に慎重を重ねて下りました。
この山域は例年であれば山全体が紅葉で真っ赤に染まるとのことですが、今年は残暑が続いたため色づきはもう一歩。とは言え、日差しを透かした色とりどりの梢はため息が出るほど美しいもので、これもまたよし。もみじの苑休憩所で一休みし、紅葉と大阪平野の眺めを楽しみました。
最後の寄り道は開山塚古墳です。横穴式石室の中に入ることができ、低い天井の横穴をくぐって入った奥の石室は広々としていました。
そして、ゴールの近鉄信貴山口駅へ。
異なる時代の史跡を訪ね、紅葉を愛で、険しい下りも全員無事に歩くことができ、参加者一同大満足で解散しました。
道中岡田敏昭ガイドからは、ジョークを織り交ぜて高齢者登山の極意、草木の話、史跡の解説があり、参加者一同疲れも忘れ、楽しく歩き通すことができました。
岡田様、参加者の皆様、ありがとうございました。
◆高18回76回さやか会◆
開催:11月27日(水)
集合:JR摂津富田駅改札口11時
行程:駅〜今城塚古墳〜スサノオ神社〜清福寺・阿久刀神社〜芥川を上流へ途中昼ご飯〜芥川の対岸を下流へ〜西国街道を辿り芥川・一里塚〜JR高槻駅
3時頃解散後「満マル」でお疲れ様会
春のさやか会が雨天中止となりリベンジで同じコースを選ぶ。今回は、前日の大雨にもかかわらず秋晴れで暑くも寒くもなく歩きやすい恵まれた日になった。歩けるメンバーが徐々に減ってくるのは寂しい。今年は残暑がいつまでも続き夏からいきなり冬に移った感じだったが、歴史ロマンを感じる道を歩き短い秋を満喫できた。(阪本啓子記)
後列左から:小柿、川合、高橋、杉橋、湯本、安富前列:阪本、唐澤(敬称略)
◆第14回昭和30年三島野(茨木)高校卒業7期生会◆
令和6年、11月9日(土)表記同期生会を茨木市元町の割烹「片桐」(阪急通り商店街・茨木神社手前)において開催しました。昨年は世界を震撼させた新型コロナ禍のため4年ぶりに同期生会を再開させたばかりでしたのに、今年度中に全員88歳の米寿を迎えることもあり、同期生会の開催が危ぶまれました。有難いことに20名の参加申し込みがあり安堵しましたが、直前に体調不良と緊急入院で18名となりました。コロナ前の参加 40名から昨年は25名でした。光陰矢の如しと申しますが八十歳台で一層速くなったようです。世の無常を思い知らされた想いであります。
世話人挨拶、物故者への黙祷、増田光一氏の乾杯、歓談中の自己紹介・スピーチ、坂野道治氏恒例の伝統芸能「南京玉すだれ」荒木弘進氏の音頭で校歌斉唱、記念撮影、次期世話人荒木弘進氏の挨拶で「お開き」。再会を約束してお別れしました。
校歌斉唱の度、歌詞の高崇高さに打たれます。宇宙の真理と国運の隆盛を念ずる。
日本一の、否、世界一の校歌です。私たち同期生は昭和27年4月府立三島野高校へ入学しました。この年、日米安保条約等の発効により日本は独立を回復し、国際社会の仲間入りを果たしました。茨木高校への校名復帰運動が盛り上がっていて、在学中には実現する筈でしたが、三島野高校最後の卒業生となってしまいました。同期生会には茨木高校の名称を使っていました。数年前、同期生会の出欠返信に某氏(大手建設会社のOB)から一報があり「一度も出席しなかったが、卒業したのは三島野高校、校名は大切にされたし。」早速詫び状を出し、以後表記の通りとなりました。次に異色の同期生を紹介します。英国総領事館、府教育委員会を経て府立三国ヶ丘高校校長に着任し、30年前の100周年記念事業を担いました。私たちは栄えある母校の100周年に熱中しました。後日、府庁の久数会支部総会で来賓の先輩府議、大友康亘先生が発言されました。「三国ヶ丘・八尾・茨木の3枚、同時に誕生したが100周年事業は茨木が最高だった。」その時「いや、三国ヶ丘が最高でした。」と元同校校長の矜持を保ち発言しました。同期生の志尾吉俊君のことであります。日頃は温厚篤実そのものの彼を見直した一瞬でありました。
令和 6(2024)年は記録にも、記憶にも残る年となりました。元日に能登半島大震災等が発生しました。大谷翔平選手の米国大リーグでの未曾有の大活躍や国技大相撲では尊富士、大の里に始まり琴桜関の大関五場所での初賜杯等々。能登半島大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、被災に合われた方にお見舞い申し上げ、復興の一日も早からんことをお祈り申し上げる次第であります。同期生と同期生会の存在が身に染みる(熊木利隆記)
◆高18回 喜寿記念・学年同窓会◆
18回生「喜寿」記念の学年同窓会が2024年11月4日(祝)、ホテルアベストグランデ高槻で開かれました。2020年に学年同窓会が開催直前コロナ禍の影響で延期のやむなきに至り、それ以来の久しぶりの集まりになりました。有志世話人会が久敬会館で数回持たれ、86名の参加で開くことができました。
この間に亡くなられた同窓生、先生方への黙祷から始まり、世話人を代表しての泉勇策君の挨拶に続いて、恒例となった最も遠い所から参加いただいた方の音頭で乾杯に移りました。今年は、合州国ニューヨーク在住の辻洋子さんでした(文化人類学を専攻され、渡米48年になられます)。元担任の奥田稔先生にもご参加いただき「こういう盛大な再会の場に参加でき嬉しいし共に語り合いたい」と挨拶を受けました。今回は限られた時間の中、旧交を温めることに主眼を置きました。学年同窓会に初参加の方から常連の方まで、クラス毎のテーブルを越えて、高校時代の思い出話や近況の紹介などに歓談の輪が広がりました。開会前の全員集合写真に加え、テーブル毎の写真撮影も進み、最後は東京久敬会の代表に就かれた同期・伴俊夫君の「近い内にまたお会いしましょう」の挨拶で締められました。
散会後、近隣喫茶店や高槻センター街の満マルでの2次会に移動し、更なる談笑が続きました。次は数年後の企画になるでしょうか、18回生の皆さん、ご注目頂き今回以上のご参加をお願いしておきます。(三上弘志 記)