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◆久敬会ミニ講演会のオンライン配信申込のご案内◆
 各講演会の約2か月前にこのホームページの「久敬会行事案内」に掲載いたします。
  下表中の<詳細ご案内へ> をクリックしていただいても、案内へ移動します。
      講師 講演実施日 申込案内掲載 申込受付開始  
第1 藤井泰則氏
     (高17回)
12月18日(土)
 
10月15日(金)
 
10月18日(月)
 
 現在受付中
 詳細ご案内へ
第2 飯田 浩氏
     (高30回)
1月22日(土)
 
11月19日(金)
 
11月22日(月)
 
 現在受付中
 詳細ご案内へ
第3 高木郁二氏
     (高31回)
2月12日(土)
 
12月10日(金)
 
12月13日(月)
 
 
 
◆高18回 第72回「さやか会」実施の報告◆
 
 春のさやか会はコロナ禍で中止を余儀なくされました。自粛中病気とコロナフレイルで欠席者が続出して、会の存続が危ぶまれます。
 11月23日、阪急王子公園駅に集合して、なぎさ公園(HAT神戸)→みなとの森公園→神戸大橋→ポートアイランド北公園→しおさい公園へ歩を進めました。
 
 前日の大雨も上がりラッキーと感じていましたが、それまでの小春日和のポカポカ陽気とは打って変わり真冬になっていました。景色が素晴らしい海沿いの公園は、海からの強風が容赦なく吹きつけて体ごと飛ばされそうな有様でした。「日向でゆっくりお弁当」をイメージしていたものの寒くて座っていられなくて、大橋まで戻り、橋の下で風が通らない所を捜し慌てて弁当をかきこみました。立ったまま食べた人も・・・メリケンパークから元町へ行く残りの行程を諦めて三宮へ向かうことにしました。
 高橋君と渡瀬君は元町の飲み会へ去り、尾本さんと湯本君は三宮から帰宅しました。残った者は春日野道の小柿君の自宅まで15,000歩位は歩きました。小柿家の奥様の美味しい手料理で、今時の居酒屋での人数や時間制限を気にすることもなく、一杯やりました。居心地の良い雰囲気の中、恒例の居酒屋での二次会よりはずっと帰宅が遅くなってしまいました。  (阪本 啓子記)
 写真は、しおさい公園。
 左から;安富、小柿、川合、湯本、泉、尾本、渡瀬、高橋、阪本
久敬会イベント第1回 ハイキングの報告
 
近江富士(三上山)と、いにしえの磨崖仏群をたずねるハイキング 
  • 日時 2021年11月21日(日)
  • 案内人 岡田敏昭(高38回)岡田知子(高39回) 参加者20名

 2017年、2019年秋に続いて3回目の開催となる岡田夫妻のガイドによるハイキング。今回は滋賀県の「ご当地富士」三上山登頂とそこから北へ少し足を伸ばして鎌倉時代・室町時代の摩崖仏を訪ねました。今回は標高差330m、距離約7kmのバラエティに富んだコースで、岩場、急登、尾根道、絶景を楽しみました。
 
 朝9時、野洲駅からバスに乗り、御上神社前で下車。岡田ガイドから今回のルートと感染症対策の説明を受けて出発。御上神社に参拝した後登山道起点から猪よけのゲートを抜けて、いきなり始まる石段の急登に息を切らします。二越で少しかすんだ比叡山や音羽山の展望を楽しみ、「割石」に到着。ここでは身体の幅ぎりぎりに迫る岩の裂け目をすり抜けます。日頃の行いが悪いとこの石に挟まれてしまうとのことで、皆さんドキドキしながら通過しました。「今回最大の難所は無事通過できました」という岡田ガイドの言葉に一同安堵の表情。
 
 しかしこの後も実は気の抜けない険しいルートが続くのでした。手すりのある岩場の厳しい急坂を登ると頂上直下の展望台に到着。比叡山や湖南アルプス、比良山系の山々と眼下に広がる晩秋の湖国を楽しみながら一休み、ここは多くの登山者でにぎわっていました。その後三上山山頂を通過し、道は急勾配の下りになります。滑らないように気をつけながら北尾根縦走路に入ると、先ほどまでとは打って変わって、足元は砂礫となりまわりは赤松の明るい林に変わりました。何度もアップダウンを繰り返しながらようやくたどり着いた古代峠で昼食休憩をとりました。
 
 その後、妙光寺山磨崖仏を目指してもうひとがんばり。巨岩が点在する急勾配のアップダウンの次はロープの張られた急坂を下って、岩神大龍神の岩屋に到着。その先に目指す摩崖仏が現れます。鎌倉時代の作とのこと。お地蔵様を拝んだのち、シダに覆われた沢沿いのしっとり湿った道を下って、最後の目的地福林寺跡摩崖仏を目指しました。昔お寺があったという広大な林のあちこちに室町時代初期の作とされるたくさんの石仏が私たちを迎えてくださいました。やぶ蚊に刺されながら摩崖仏を拝見した後、野洲中学校前バス停から野洲駅に戻ってきました。
 
 道中岡田敏昭ガイドからは、靴の履き方と靴紐の締め具合や山での水分の取り方などの登山の基本から、草木の話、神社や摩崖仏の解説が、ジョークまじりで次々飛び出し、参加者一同疲れも忘れ、楽しく歩き通すことができました。また、知子ガイドのきめ細やかなフォローで怪我なくイベントを終えることができました。
 岡田様、参加者の皆様、ありがとうございました。
紅葉と三上山 御上神社参拝 最大の難所 割岩
最大の難所 割岩  岩場の厳しい急坂を登る 山頂直下の展望台
三上山 山頂 岡田ガイドの話を聞く 明光寺磨崖仏
◆久敬会ミニ講演会Ⅱのご案内◆
  • 演題:「身近な宇宙、遠い宇宙」
  • 講師:飯田浩(高30回、元NEC宇宙システム事業部)
  • 日時:2022年1月22日(土)14:00~16:00
     
東京からのリモート講演になりますが、久敬会館でのスクリーンでの受講も可能です。
申込締切:1月13日(木)
(久敬会館での受講は先着30名)
リモート受講の録音・録画はご遠慮ください。

講演趣旨

 宇宙開発は、遠い世界・夢の世界に受け止められることが多いのですが、実は身近で現実的なものでもあります。身近な例を交えながら、なぜ宇宙開発が必要なのか、その分野にどのようなものがあるのか、それらの過去や現状はどうなのか、などを中心に紹介した上で、今後の展望を考え、宇宙開発による効果を身近なものとして捉えていただける様にしたく思います。

申込方法

下記フォームよりお申込みください。
https://forms.gle/EgxWizW63NDL3rzw9
もしくは、事務局までメール(kyuukei@skyblue.ocn.ne.jp) 又は
FAX(072-648-7124)にて、下記内容をご連絡ください。
・卒回
・お名前
・電話番号
・参加希望
会館のスクリーンで受講を希望される場合は【会場(久敬会館)】、自宅等それ以外の場所で受講を希望される場合は【オンライン】をお選びください。
・(オンライン参加の場合)メールアドレス
◆久敬会ミニ講演会Ⅰのご案内◆
  • 演題:「日本近代水泳発祥之地」の記念碑がどうして茨高にあるのか?」
  • 講師:藤井泰則(高17回、久敬会事務局長)
  • 日程:2021年12月18日(土)  申込締切:12月9日(木)
  • 場所:久敬会館(会場での受講は先着30名)/オンライン
  • 時間:久敬会館 14:00~16:00(プール現地見学込)/オンライン 14:00~15:30頃
会場受講者は前半の講演終了後、記念碑や室内プールを見学していただきます。オンライン受講者は、記念碑や室内プールを始めとする校内点描のスライド説明を10分程度ご覧いただくことができます。

申込方法

下記フォームよりお申込みください。
https://forms.gle/pa8hSv6K3pUKNxAM9
もしくは、事務局までメール(kyuukei@skyblue.ocn.ne.jp)又はFAX(072-648-7124)にて、下記内容をご連絡ください。
卒回
お名前
電話番号
参加希望 【会場(久敬会館)参加】もしくは【オンライン参加】のどちらかをお選びください
(オンライン参加の場合)メールアドレス

講演趣旨

 近代水泳とは競泳ではクロール、そして飛び込み、水球を指します。このすべてが茨高の前身である茨中から生まれました。指導したのは自身も茨中出身の杉本傳先生です。彼は水泳監督として三大会連続でオリンピックに行かれました。育てた選手は銅メダリストの高石勝男、銀メダリストの入江稔夫など五名がオリンピックに参加しています。こんな水泳王国になったのも、初めは全校生徒が泳げるようにとの目的で、生徒達の土方作業でプールを作ったからです。そこには川端康成や大宅壮一もいました。そんな先人達の苦労や栄光を偲んだ後、今の府下唯一の温水室内プールを見学しましょう。
川端康成が大宅壮一の葬儀で読んだ直筆の弔辞原稿の発見
 
東京新聞に掲載された記事の紹介です。東京久敬会の方から知らせてただきました。 

1)「川端康成が直筆の弔辞見つかる」

2021年5月16日の東京新聞に掲載された記事です。
 川端康成(中18回)が1971年1月に、大宅壮一(中21回)の葬儀で読んだ直筆の弔辞の原本が「大宅壮一文庫」で見つかったという記事です。
 この記事には、大宅壮一と川端康成を描いた小説「マガジン青春譜」の著者である猪瀬直樹さんの談話もあります。
  ◎画像をクリックしてご覧下さい。



2)「大宅壮一没後50年 大宅壮一文庫開館50周年 文化のとりで 雑誌の宝庫」

 2020年11月19日の東京新聞に掲載された記事です。
  ◎画像をクリックしてご覧下さい。



3)ところで、猪瀬直樹さんは1999(平成11)年11月13日に、茨木高校で川端康成生誕百年を記念しで公演されています。久敬会報53号に掲載された案内記事です。
  ◎画像をクリックすると拡大します。






 
久敬会報75号p9「思い出の校舎」の訂正と補足
 高46回の方から「1993年から体育祭は万博公園で実施した」と連絡をいただきました。ご指摘ありがとうございます。写真を説明している文章の最後の文を「グラウンドが無いため1993年から1997年の体育祭は万博公園で実施されました」に訂正をお願いします。
 久敬会報の編集委員に当時を知る者がいないので、新校舎竣工の記載がある『創立110年記念誌』の年表を調べたのですが、調査が不十分でした。『茨木高校百年史』の年表の1993年に、1/18グラウンドの文化財本調査開始、9/7雨天のため体育祭中止、9/10体育祭(於万博グラウンドにて マスコットは二体のみで代わりに応団幕ができる)と記載がありました。関係の皆様には深くお詫び申し上げます。
  • 以下に今回の写真に関連する校舎変遷の簡易年表を作成しました。
    写真には建物の呼び名(A館~E館)等を記載しました。

    画像をクリックすると大きくなります。
    1933(昭和8)年   旧B館(南館、講堂ほか)竣工
    1935(昭和10)年 旧A館(北館)と正門竣工
    1966(昭和41)年 久敬会館完成
    1969(昭和44)年 第2代プール竣工
    1972(昭和47)年 旧C館1期工事完了、
    旧本館撤去
    1975(昭和50)年 旧C館4期工事完了
    1982(昭和57)年 旧D館(現E館)竣工
    1993(平成5)年 埋蔵文化財調査開始
    1997(平成9)年 4月 新校舎に移転
    8月 旧A~旧C館撤去
    10月 旧体育館・柔剣道場撤去
  
久敬会報75号p26の訂正とお詫び
久敬会報第75号26ページの『2020年度有志寄付』について記載ミスがありました。
26,000円のご寄付をいただいたのは、高25回3年2組有志の皆様でした。お手元の会報当該欄の高23回を高25回にご訂正くださいますようお願いいたします。
尚、せっかくご寄付くださった高25回3年2組の皆様には、残念な思いをさせましたこと、深くお詫び申し上げます。
『【茨木高校】華麗なる卒業生人脈!』
 
 フリージャーナリストの猪熊建夫さんがDiamond Onlineに掲載されている記事『【茨木高校】華麗なる卒業生人脈!』を、複数の久敬会員が送ってくださいました。
 この記事に登場する方々は、今までにマスコミ等で取り上げられた卒業生の一部です。この方々以外にも多くの方々が地道に活躍されているのが我が茨木高校の卒業生です。
 なお、記事中の茨木高校の教育目標のうち、(2)「二兎を追う」は、最近「枠を越える知性」に変更されています。
記事は「活躍している卒業生」に掲載しています。
 こちらからご覧いただけます→クリック
 
 以下はこの記事に登場する55人の方のお名前です。 (  )は当方で調べた卒業回です。卒業回順に並べ替えています。

原 邦造(中2) 桑田義備(中2) 高碕達之助(中4) 杉本 伝(中9)
植場鉄三(中13) 福田敬太郎(中15) 川端康成(中18) 大宅壮一(中21)
石田恒信(中24) 高石勝男(中25) 内藤良一(中26) 二反長半 (中28)
井上究一郎(中28) 入江稔夫(中30) 奥田精一郎(中39) 牧 冬彦(中41)
松下眞一(中41) 坂井利之(中43) 長谷川慶太郎(中46)
井上一成(高2) 浅田勝美(高4) 三島元太郎(高6) 米沢富美子(高9)
広岡正久(高10) 加藤 進(高13) 細見 彰(高13) 金沢 薫(高15)
木曽良明(高16) 山中一郎(高16) 桧山為次郎(高17) 平尾隆弘(高17)
岡本嗣郎(高17) 石高健次(高21) 桂 米輔(高21) 津賀一宏(高27)
車谷暢昭(高28) 石野良純(高28) 池川志郎(高28) 吉田宗弘(高28)
加治佐俊一(高30) 石原俊彦(高31) 佐久間毅(高33) 中村克樹(高34)
戸崎 肇(高34) 柳川 強(高35) 吉田直樹(高36) 八十祐治(高40)
土居丈朗(高41) 溝上慎一(高41) 堀江慎司(高42) 谷村政樹(高42)
大野裕之(高45) 名和晃平(高46) 小田島梨絵(高50) 椎橋 寛(高51)     
加藤逢吉(本校初代校長)と正岡子規との一夜の出会い
 
 久敬会広報委員長の岩井英雅さん(高20回)が正岡子規の随筆『筆まか勢 第一編』から見つけられた記事と初代校長加藤逢吉の紹介です。
 岩井さんは、茨木高校在職中は母校の百年の史料整理や『茨木高校百年史』編纂に尽力され、近年は「久敬会報」発行の中心になっておられます。
 
 明治22年(1889)24日、一高生だった正岡子規は郷里の松山へ帰省するために、従弟の藤野古白と新橋停車場を出発した。京都で三十三間堂を見学した後、汽車で神戸まで行き、八幡丸に乗船したのは27日。
 その上等室にたまたま乗り合わせたのが、当時、滋賀の師範学校に勤めていた加藤逢吉(本校初代校長)だった。
 
 子規の日記風の随筆「筆まか勢 第一編」には、同室の教師について、次のように記されている。

 《二人は年も若く一人ハ慶應義塾の教師、他ハ三重の師範学校の教師也 (中略)後には加藤逢吉といふ人も来りぬ、此人は滋賀の師範学校の教師にて 三重の教師石井某とは同窓の旧友なりしかば 書生間の出来事を物語られたり 二人とも もと東京大学に居りし人故 其話は多少余と関係もあり 殊に其時分のしくじり話しや朋友の評判などは 今日は皆堂々たる学士諸子の履歴に関する故
 覚えず笑壺に入りたり、斯くて三十時間許りの航海も長きとも知らで三津港に着けり 帰郷後ハ時候の温暖(東京に比して)なるが為に再生の心地し 七年ぶりに故郷の雑煮を味へり》
 加藤逢吉だけがフルネームではっきりと書かれているのが大変興味深い。よほど印象深かったのだろうか。加藤逢吉は安政4年(1857)生まれだから、この時32歳。子規はまだ22歳という若さだった。
 
 それから2年後に加藤逢吉は歴史的な事件に遭遇することになる。日本を親善訪問中のロシアの皇太子ニコライが、琵琶湖遊覧の帰途、巡査津田三蔵にサーベルで斬りつけられて傷を負うという、日本中を震撼させ大津事件である。事件は明治24年(1981)5月11日のことだった。幸いにもニコライ皇太子は軽傷で、襲われた場所を記念のために写真撮影させたい、という意向があり、15日にロシアの海軍士官らが赴くことになった。その電報を受けた滋賀県知事が英語の通訳兼案内人として依頼したのが、滋賀の師範学校の教師をしていた加藤逢吉ともう一人の教師だった。加藤逢吉は物理の教師だったが、英語も堪能だったのだろう。
 
 加藤逢吉が本校初代校長となるのは、それから数年後の明治28年(1895)のことである。ちなみにこの年、夏目漱石は子規の母校である松山中学に赴任し、そこでの経験が後に小説『坊つちやん』に結実する。また、〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉という有名な句を子規が詠んだのが、この明治28年秋のことだった。
 ご遺族から寄贈を受けた、明治31年(1898)から昭和14年(1939)までの加藤逢吉の日記を久敬会館に保管してある。子規が亡くなるのは明治35年(1902)9月18日。日記に何か書かれているかもしれない、と思って確かめたが、特に記述はなかった。
◆個人情報保護のお願い◆
先日、東京都内の方から都議選に関して卒業生と名乗る人物から電話や訪問を受けて迷惑したとの連絡が事務局宛てにありました。
久敬会では既に個人情報保護の観点から名簿の発行は停止していますので、以前の名簿を利用しての行為と思われますが、このような選挙目的での利用は厳に慎んで頂きますようお願いいたします。
又、廃棄される場合も名簿は言わば個人情報の集合体ですので、充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。

新着情報

久敬会事務局 TEL:072-624-1545
FAX:072-648-7124
E-mail:
住所変更等
開館時間:9時30分~16時(12時~12時30分を除く)
(土・日曜日及び祝日は原則休み、又、お盆休暇、年末年始休暇、それに高校入試日の3月中旬の1週間程度)