久敬会報75号p26の訂正とお詫び

2021年09月28日(火)更新
久敬会報75号p26の訂正とお詫び

久敬会報第75号26ページの『2020年度有志寄付』について記載ミスがありました。
26,000円のご寄付をいただいたのは、高25回3年2組有志の皆様でした。お手元の会報当該欄の高23回を高25回にご訂正くださいますようお願いいたします。
尚、せっかくご寄付くださった高25回3年2組の皆様には、残念な思いをさせましたこと、深くお詫び申し上げます。
ホームページ管理

加藤逢吉(本校初代校長)と正岡子規との一夜の出会い

2021年09月17日(金)更新
加藤逢吉(本校初代校長)と正岡子規との一夜の出会い  

 久敬会広報委員長の岩井英雅さん(高20回)が正岡子規の随筆『筆まか勢 第一編』から見つけられた記事と初代校長加藤逢吉の紹介です。
 岩井さんは、茨木高校在職中は母校の百年の史料整理や『茨木高校百年史』編纂に尽力され、近年は「久敬会報」発行の中心になっておられます。
 
 明治22年(1889)24日、一高生だった正岡子規は郷里の松山へ帰省するために、従弟の藤野古白と新橋停車場を出発した。京都で三十三間堂を見学した後、汽車で神戸まで行き、八幡丸に乗船したのは27日。
 その上等室にたまたま乗り合わせたのが、当時、滋賀の師範学校に勤めていた加藤逢吉(本校初代校長)だった。
 
 子規の日記風の随筆「筆まか勢 第一編」には、同室の教師について、次のように記されている。

 《二人は年も若く一人ハ慶應義塾の教師、他ハ三重の師範学校の教師也 (中略)後には加藤逢吉といふ人も来りぬ、此人は滋賀の師範学校の教師にて 三重の教師石井某とは同窓の旧友なりしかば 書生間の出来事を物語られたり 二人とも もと東京大学に居りし人故 其話は多少余と関係もあり 殊に其時分のしくじり話しや朋友の評判などは 今日は皆堂々たる学士諸子の履歴に関する故
 覚えず笑壺に入りたり、斯くて三十時間許りの航海も長きとも知らで三津港に着けり 帰郷後ハ時候の温暖(東京に比して)なるが為に再生の心地し 七年ぶりに故郷の雑煮を味へり》
 加藤逢吉だけがフルネームではっきりと書かれているのが大変興味深い。よほど印象深かったのだろうか。加藤逢吉は安政4年(1857)生まれだから、この時32歳。子規はまだ22歳という若さだった。
 
 それから2年後に加藤逢吉は歴史的な事件に遭遇することになる。日本を親善訪問中のロシアの皇太子ニコライが、琵琶湖遊覧の帰途、巡査津田三蔵にサーベルで斬りつけられて傷を負うという、日本中を震撼させ大津事件である。事件は明治24年(1981)5月11日のことだった。幸いにもニコライ皇太子は軽傷で、襲われた場所を記念のために写真撮影させたい、という意向があり、15日にロシアの海軍士官らが赴くことになった。その電報を受けた滋賀県知事が英語の通訳兼案内人として依頼したのが、滋賀の師範学校の教師をしていた加藤逢吉ともう一人の教師だった。加藤逢吉は物理の教師だったが、英語も堪能だったのだろう。
 
 加藤逢吉が本校初代校長となるのは、それから数年後の明治28年(1895)のことである。ちなみにこの年、夏目漱石は子規の母校である松山中学に赴任し、そこでの経験が後に小説『坊つちやん』に結実する。また、〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉という有名な句を子規が詠んだのが、この明治28年秋のことだった。
 ご遺族から寄贈を受けた、明治31年(1898)から昭和14年(1939)までの加藤逢吉の日記を久敬会館に保管してある。子規が亡くなるのは明治35年(1902)9月18日。日記に何か書かれているかもしれない、と思って確かめたが、特に記述はなかった。
ホームページ管理

個人情報保護のお願い

2021年06月25日(金)更新
◆個人情報保護のお願い◆
 
先日、東京都内の方から都議選に関して卒業生と名乗る人物から電話や訪問を受けて迷惑したとの連絡が事務局宛てにありました。
久敬会では既に個人情報保護の観点から名簿の発行は停止していますので、以前の名簿を利用しての行為と思われますが、このような選挙目的での利用は厳に慎んで頂きますようお願いいたします。
又、廃棄される場合も名簿は言わば個人情報の集合体ですので、充分にご注意下さいますようお願い申し上げます。
ホームページ管理

【新内浄瑠璃が出逢う松下眞一の世界】のご案内

2021年01月20日(水)更新
【新内浄瑠璃が出逢う松下眞一の世界】のご案内
新内の楽しみ 特別編 新内浄瑠璃が出逢う松下眞一の世界
2021年3月14日 (日) 15:00開演
茨木市市民総合センター(クリエイトセンター)センターホール。全席指定。
一般2,500円/65歳以上、障害者及びその介助者2,000円/24歳以下1,000円
 
イベントの詳細はHP https://www.ibabun.jp/event/261/ をご覧ください。動画あり。
松下眞一さんの業績については、https://ja.wikipedia.org/wiki/松下眞一 などを参照してください。
以下は茨木市文化振興財団の安藝しのぶさんからの案内メッセージです。
 ----------------------------
 現代音楽の作曲家・松下眞一さん(中41回)の楽曲を取り上げた公演を開催いたします。
松下眞一さんがご逝去され既に30年ほどたち、市民の中にもだんだんと知る人が少なくなってきている悲しい事実がございます。
理学博士、数学者であり、作曲家であった松下さんは、大阪市立大学やハンブルク大学で教鞭をとられ、位相解析学、ポテンシャル論の権威として業績を残されました。
また日本万国博覧会に委員として参画。
また作曲家としてはウィーン世界音楽祭をはじめとした国際的な芸術祭にも数多く招聘され、世界的に活躍されました。
そんな松下眞一さんの生きてこられた時代背景などを浄瑠璃で描きながら、楽曲を演奏する公演になります。
 
 同じく茨木高校ご出身の大野裕之さん(高45回)にもご登壇いただき、この公演全体の水先案内人のような役割で話を進めていただく予定にしております。
豊かな人材を輩出している貴校ご出身の方を皆様にご紹介いたしたく、また、たくさんの方に見ていただきたいと思っております。このコロナ禍ではありますが、感染症対策をしながら開催いたします。
ホームページ管理

◆就活メール相談◆ 受け付けています 

2020年10月13日(火)更新
◆就活メール相談◆ 受け付けています 

 受付方法、就活メール相談員のリスト等はこちら→クリック
ホームページ管理

就活相談会準備会開催日程変更について

2020年09月07日(月)更新
◆就活相談会準備会開催日程変更について◆
 
 先般発送しました今年度の久敬会報(第74号)の5ページに掲載しております「就活相談会準備会」(=相談員の方との事前打ち合わせ)の開催日程を下記の通り変更します。
  • 変更前:9月12日(土)
  • 変更後:9月26日(土)
開始時刻は14:30で変更ありません。
急な変更にて申し訳ありませんがよろしくお願いいたします。
なお、相談員希望の方で準備会に参加される方は事前に事務局までメールまたはFAXにてご連絡をお願いいたします。
ホームページ管理

川端康成と岸惠子

2020年07月21日(火)更新
◆川端康成と岸惠子◆
 女優の岸惠子さんが日本経済新聞の「私の履歴」を5月1日から31日まで30回に渡って連載執筆されています。
 岸惠子は女優にデビューした高校3時、短編小説書いており、川端康成と面会していて、フランスでの結婚式では偶然出会った川端に仲人をしてもらっています。
 そのエピソードは「私の履歴書」の⑧⑯⑰に記載されています。

 
 記事の抜粋を以下に紹介します。
 
 岸恵子という日本を代表する映画女優を今の若い人たちはどの程度ご存じだろうか? 1932年生まれなので現在88歳。写真の通り驚くほど若々しい。
 彼女が21歳の時に佐田啓二と主演した「君の名は」三部作が大ヒット。
映画会社の松竹はこのおかげで本社ビルを建てることが出来た位であった。
岸恵子が演じた氏家真知子のスカーフの巻き方は「真知子巻き」と呼ばれ日本中の女性が真似たと言われる。
一躍、大スターとなった彼女の回りには人が群がり波ができ、ロケは度々中断しないと前に進めないようになった。
 
 その岸恵子が実は川端康成の小説を耽読していて、しかも彼女が高校三年生の時に川端康成と面会していたのだ。
岸恵子の従姉妹の夫に若槻繁という人がいた。この人は川端康成の愛弟子で雑誌「ひまわり」の編集局長をしていた。若槻は岸が書いた短編小説を読んで「恵子ちゃんは女優になるより作家になった方がいい」と言い出し、川端康成の定宿である東京・四谷の料亭旅館「福田屋」に連れて行った。
 
 その時の印象を岸恵子は次のように述べている。
「私は身分違いの雰囲気におののき、湖のように深い大作家の目に見つめられて手から桜茶を落とした。畳にこぼれた桜茶をワンピースで拭きながら、自分のつたない小説を座布団の下に滑り込ませて恥じ入っていた。そんな私を大作家はじっと見ていらした。(物書きはああいう目をしていなければダメなんだ)
料亭を出て歩く私の脚に桜茶でびしょびしょにぬれたスカートがまとわりついた。」
 
 当時の娯楽の王様だった映画は制作し封切ると、すべてが観客動員できた。
岸恵子は同時に二本も三本も撮影する日々が続いていた。
 その中で特筆すべきは1956年に制作された日本とフランスの合作映画「忘れえぬ慕情」である。
これを機会に監督のイヴ・シァンピと岸恵子が結婚することになったのだから。
 イヴ・シァンピは若い軍医でもあったが、第二次世界大戦当時、ヒトラー邸炎上からナチス占領下にあったシャンゼリゼ大通りをド・ゴール将軍が凱旋するまでを16ミリカメラで撮影し、そのドキュメンタリーが世界的ヒットとなっていた。
 ある撮影休みの日、イヴ・シャンピは長崎の高級料亭に岸恵子を誘った。
その席でのイヴ・シャンピのプロポーズの言葉がしゃれている。
「あなたには好奇心がある。日本も素晴らしいけど、地球上には色々な国があり、生き方がある。僕が招待するからヨーロッパやアフリカを一緒に見てみませんか」
複雑な顔の岸恵子にシャンピは笑って言った。
「卵を割らなければオムレツは作れない、という諺がある。色々な国を見て、それでもやっぱり日本がいいと思ったら帰ってくればいい」
「そんなことしていいの」と問う岸に、「あなたは自由なんだ。阻むものがいるとしたら、それはあなた自身だけだ」と答えるシャンピ。
そして岸恵子は恋に落ちた。
 
 川端康成原作の「雪国」が岸恵子の「それまでの私」への決別の映画と決めていた。女優としての私、祖国、両親、愛してきたすべてのものへの決別。
「雪国」出演が決まった時、イヴ・シャンピに電報を打った。
「1957年5月1日にパリのあなたの元に行きます」
 
 パリに到着した3日後に迫った結婚式には日本と同じように仲人が必要だった。文化大使として評判の高かった某氏に依頼したが「あなたは君の名はとやらでスターになったと聞きましたが、私にも立場がある。仲人はできません」と断られてしまう。
 傷心のままで面談室を出ると、なんと川端康成が目の前のソファーに座っているではないか。川端はそのままシャンピ家まで来てくれ「仲人?私がやりますよ」と快諾してくれた。
 川端康成はパリで開かれた国際ペンクラブ世界大会に出席するため、日本会長として公式訪問していたのだ。
 シャンピ家で昼食となった。
給仕長が銀皿から白アスパラガスを優雅に配る。岸恵子はナイフを使ってはいけないものが3つあると聞いていた。サラダ菜、スパゲッティ、アスパラガス。
それじゃどうやって食べるのと内心思っていると、川端康成は細い指で白アスパラガスをヒョイとつまみ、ベシャメルソースに浸してパクリと食べた。
素敵だと思っていると「今、アスパラが旬ですね。とても美味しい。」と言いながら、岸の目をじっと見る。
「四谷の宿で座布団に隠した小説を見せてください。」
「あれは・・・・捨てました」
「嘘でしょう」
嘘だった。小説の題名は「梯子段」。今も手元にある。
  (日本経済新聞「私の履歴書―岸恵子―」より抜粋)
ホームページ管理

幹事の皆様へ

2020年07月06日(月)更新
幹事の皆様へ                  2020年 7月6日

幹事会は書面で開催することになりました。
「幹事会資料」および「回答書」を閲覧していただけます。
幹事会資料(PDF形式)→クリック
回答書(word形式)→クリック
  • 閲覧には郵送した書類に記載したパスワードが必要です。
  • 「幹事会資料」および「回答書」は郵送でお送りした内容と同じです。
    ただし、各委員の方には郵送に替えてメールでお送りしています。
  • なお、茨木高校は6月15日から通常授業が再開されています。
ホームページ管理

コロナウイルスに伴う久敬会館からのお知らせ

2020年05月26日(火)更新
コロナウイルスに伴う久敬会館からのお知らせ         5月26日更新
 国の緊急事態宣言の解除を受けて検討した結果、
一般会員の久敬会館の利用を5月27日(水)から再開しています。
 「三密」に注意してのご利用をお願いします。
久敬会館事務局の業務は通常通り再開しています。
 ご不便をおかけしますがご了承のほどお願い申し上げます。
「幹事会の開催時期や開催方法」について現在検討中です。
 幹事さんには、決まり次第連絡しますのでもうしばらくで待ちください。
なお、茨木高校は6月1日から毎日の登校が再開されるようです。
ホームページ管理

第2回久敬会ミニ講演会中止のお知らせ

2020年01月10日(金)更新
第2回久敬会ミニ講演会中止のお知らせ

 2020年1月11日(土)に予定されています以下の第2回久敬会ミニ講演会は、講師が昨日インフルエンザA型に罹患されたことが分かりましたので中止とさせていただきます。
 講演を楽しみにされていた多くの参加予定者の方には大変申し訳ありませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
 
日時:2020年1月11日(土) 14:00~16:00
会場:久敬会館
演題:「宝塚歌劇の組織、105年の歴史、初日までの流れや裏話」
講師:太田 健 (高40回)(宝塚歌劇団所属の音楽家・編曲家)
ホームページ管理

ミニ講演会Ⅱ(募集終了)

2019年12月17日(火)更新
◆第2回久敬会ミニ講演会募集停止のお知らせ◆
 2020年1月11日(土)に予定されています以下の第2回久敬会ミニ講演会に想定を超える多くの申込をいただきました。これ以上増えますと講演を座って聴いていただけなくなる事態になるため、申し訳ありませんが今後の申込受付はひとまず停止させていただきます。
 キャンセル待ちをしてでも希望されるという場合はその旨お伝えください。そういう事情ですので、すでに申込をされた方の中で都合が悪くなられた方がおられましたら、分かり次第ご連絡いただけると幸いです。
 申込受付締切日までまだ日にちを残している中での今回の対応、誠に申し訳ありませんが事情をご賢察の上ご理解よろしくお願いいたします。
 
日時:2020年1月11日(土) 14:00~16:00
会場:久敬会館
演題:「宝塚歌劇の組織、105年の歴史、初日までの流れや裏話」
講師:太田 健 (高40回)(宝塚歌劇団所属の音楽家・編曲家)
ホームページ管理

久敬会ハイキングまもなく定員に達します

2019年10月23日(水)更新
◆「久敬会ハイキング」まもなく定員に達します◆
 
岩尾根と紅葉をたのしむ、宝塚・中山連山ハイキング」(11月16日(土)実施)
 
現在の申込者は26名です。
申込締め切り日は10月31日(木)ですが、定員30名になり次第締め切ります
「久敬会ハイキング実施要項」を確認して申し込んでください。
  • 久敬会ホームページの「久敬会行事案内」に掲載しています。
  • こちらをクリックしてご覧になれます。→クリック
ホームページ管理
このページのトップへ