大野裕之さん(高45)著作「デンさんのプール 杉本傳 水泳ニッポンを作った男」のご紹介

2025年10月27日(月)更新
◆大野裕之さん(高45)著作「デンさんのプール 杉本傳 水泳ニッポンを作った男」のご紹介◆

会報にもちらしを折り込みましたが、標記の著作が11月5日(水)にいよいよ発刊されます。
妙見夜行登山の生みの親でもあり、水泳王国茨中を作り上げた茨木中学体操教諭の杉本傳先生(中9)について書き上げた著作ですのでご紹介いたします。
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(小学館による紹介文)

大正初期の大阪府立茨木中学(現・茨木高校)で、当時の生徒だった川端康成や大宅壮一と一緒にグラウンドを掘って、日本で初めて近代的な水泳プールを作った伝説の教師がいた。

生徒たちからは、親しみを込めて「デンさん」と呼ばれたその人の名は杉本傳(すぎもと・つたえ)。ドジョウやウナギが泳ぐ田舎のプールからは、その後、高石勝男(1928年アムステルダム五輪、800m自由形リレー銀メダル、100m自由形銅メダル、のちの日本水泳連盟会長、1964年東京オリンピック水泳日本代表総監督)ら多くの名選手が巣立っていく。

遺族や関係者の証言、杉本家の蔵や茨木高校から発掘された膨大な資料をもとに、大正時代から昭和、戦争を経て、戦後に至る杉本傳の知られざる生涯を茨木高校OBである脚本家・演出家の大野裕之が描くノンフィクション。
 

(大野さんからのひとこと)

杉本傳先生は、言うまでもなく母校茨木高校の大先輩です。しかし、そんな個人的な興味をこえて、彼の人生を徹底調査してまとめることにしました。今ほど杉本傳のような人物が求められている時代はないと思ったからです。

杉本傳家の蔵、杉本の本家の資料(傳さんは分家)、茨木高校所蔵資料、当時の新聞などを丹念に調べるうちに、さまざまな新事実が発見されました。例えば、これまで茨木高校に伝わっていた話よりももう少し早くから水泳をしていたことがわかりました。また、杉本傳先生本人は、「当時の府知事が中学生の夏季の水泳を必須にすると訓令があったので水泳池を作った」と回想しているのですが、実際はそのような「訓令」は存在せず、彼はおそらく意図的に事実とは異なったことをおっしゃっていたようです。

とにかく、これまで言われていたよりも、デンさんはより一層破天荒なパイオニアであったことがわかりました。しかも、今回の調査で、杉本傳先生は体育だけではなく、一時期は「唱歌(音楽)」の教諭をも務め、茨高の校歌の成り立ちにも関わっていることも明らかになるなど、茨高生にとって興味深いエピソードもたくさん書いています。

彼は、茨中の生徒と共に日本で初めてグラウンドを掘ってプールを作り、日本で初めてクロール泳法を導入して、1924年パリ五輪の競泳監督になり、高石勝男(パリ五輪で日本人初の入賞)らオリンピック選手を育て上げ、1928年アムステルダム五輪で日本初の飛込監督になり、日本に水球を導入し……などなど、水泳の全てのジャンルでのパイオニアであります。

それだけでなく、学童の水泳教育や女子水泳教育に力を入れて、1932年ロス五輪で女子水泳の監督になるなど、水泳教育の裾野を広げることに力を尽くしました。さらに、関西で初めてのブラスバンド部を作り、本人は能楽やヴァイオリンを嗜む文人でもありました。

そんなものすごい業績をあげたにもかかわらず、こんにち杉本傳の名が人々の話題にのぼることはあまりありません。というのも、彼自身が、自分の名を残すことを良しとしなかったからです。例えば、自分の銅像の除幕式で、「みんなの気持ちはありがたいけど、自分だけではなくみんなで頑張ったことやから」と銅像設置を断って、自宅に持って帰ったこともあるほどです。

彼は自校だけが勝っても仕方ないと、研究の成果を惜しげもなくライヴァル校に公開し、日本の教育水準を上げるために尽くしました。結果、水泳の茨中の地位は低下していき、今や杉本傳の名前は半ば忘れられた形になっています。

でも、私たちはデンさんのことを忘れてしまってもいいのでしょうか?

社会全体を見渡すと、失われた数十年の間に、新しい挑戦を面白がる心はすっかり失われてしまいました。教育の現場でも、いろんな立場の生徒たちが交流して何かを一緒に作り上げることも少なくなってしまいました。

こんな時だからこそ、杉本傳のことを思い出したいのです。グラウンドに生徒と一緒にプールを掘ったあの破天荒な冒険者を。前例にとらわれずに海外から最新の情報を取り入れて新しい泳ぎ方を研究したイノベーションマインドを。大胆に夢を見て、情熱と科学とでゼロから全てを作った男、デンさんを思い出したいのです。

 そんな思いで、この本を書きました。
杉本傳先生のパイオニア精神は、今も茨高生一人一人に脈々と流れているはずです。
ぜひ多くの人に読んでほしいと願っています。
調査・執筆にあたってお力添えいただきました多くの久敬会の先輩方に感謝いたします。

どうぞよろしくお願いします!
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