監督・脚本が久敬会員の映画紹介

2018年05月14日(月)更新

監督・脚本が久敬会員の映画紹介

 監督・脚本が久敬会員の映画
「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」の紹介

6月30日から全国の単館劇場で公開されます  

 「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」は、2017年8月12日にNHKのBSで放送されたドラマを再編集して、100分の映画版として上映するもので、6月30日から東京ポレポレ東中野、7月7日から沖縄桜坂劇場他、順次全国の単館劇場で公開されます(大阪での公開時期は今のところ未定)
 
 監督はNHKのディレクターの柳川強(高35回)氏、脚本は西岡琢也(高27回)氏で、久敬会員が監督と脚本家としてコンビを組んで映画作品を作り上げるのは、おそらく初めてのことでしょうから、久敬会員の皆様にお知らせいたします。
 
 映画は米軍の「理不尽な占領」と闘い続けた実在の外交官である、千葉一夫の知られざる真実の物語を描きます。千葉一夫は対米交渉、対沖縄折衝の両面で大きな役割を担い、「鬼の千葉なくして沖縄返還なし」と称された、伝説の外交官です。

 主人公の千葉一夫を演じるのは井浦新、そしてその妻の惠は戸田菜穂。井浦と戸田は初共演とは思えないほど息が合い、激しい返還交渉に挑んだ男とそれを支える妻が育んだ夫婦愛を熱演しました。尾美としのり、佐野史郎、石橋蓮司、そして先頃惜しまれて亡くなった大杉漣などのベテラン俳優陣が、物語に重厚感とリアリティを付与していますから、見応えのある、骨太の「社会派エンターティメント映画」になっているそうです。
 
機会があれば、是非ご観賞ください。
  ◆http://cinefil.tokyo/_ct/17159255
  (ネット上でリリース発表となっています↑)

配給・宣伝の問い合わせ先は以下のとおり。
太秦株式会社 配給:小林三四郎 宣伝:岩本玲、今村花
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷 5-16-10 代々木エアハイツ 301
 tel:03-5367-6073 fax:03-6903-6970 mail : info@uzumasa-film.com

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「高碕達之助に学ぶ会」発足記念講演会参加記

2018年02月27日(火)更新
「高碕達之助に学ぶ会」発足記念講演会参加記
 
 2018年2月24日(土)に「高碕達之助に学ぶ会」発足記念講演会が、高槻市生涯学習センターで開催されました。
 以下はその参加記です。
 講演会が始まる2時前には、300名収容の多目的ホールはほぼ満席で、高碕達之助(中4回)に寄せる市民の関心の高さに驚きました。
 私は中村事務局長に確保していただいた席に座りましたが、岩橋昭元校長をはじめ、何人かの久敬会関係の方もお越しでした。
 基調講演は、元朝日新聞記者で『日中をひらいた男 高碕達之助』(この本についてはすでに紹介済み)の著者である牧村健一郎氏。牧村氏は企業家であり、偉大な政治家であった高碕達之助の事跡を5つのキーワード【現場主義・現実主義・ウインウイン・チャレンジ精神・人間力】で、分かりやすく、かつ熱っぽく語られました。
 高碕達之助については、おおよそのことは知っているつもりでしたが、改めてその偉大さと人間的魅力を再認識した講演内容でした。
 それを受けたパネルディスカッションでは、久敬会前会長の大木令司(高3回)氏と旧職員の北村正信氏がパネラーの一員として、高碕達之助の人となりについて興味深いエピソードを交えながら話され、私も聴衆の一員として聴き入っていました。
 大木・北村氏を含め、どのパネラーも語りたいことがいっぱいあるらしく、どなたも持ち時間をオーバー。その後、会場から活発な意見や質問があり、パネラーが答えるたびに大きな拍手が起こりました。
 最後のまとめとして、コーディネーターの島津淳子氏が、高碕達之助のことをもっと世間に知ってもらうために、NHKの連続テレビ小説でぜひ取り上げてほしい、と発言されると、会場は万雷の拍手。
 気づけば5時近くになっていました。   
広報委員長 岩井 英雅(高20)記
 
高碕達之助(中4回)のプロフィール
  • 1885年(明治18)高槻市柱本に生まれる
  • 1917年(大正6) 東洋製罐設立
  • 1953年(昭和28)電源開発初代総裁としてダムで水没する荘川桜を救う
  • 1954年(昭和29)69歳で鳩山一郎内閣の国務大臣に就任
  • 1962年(昭和37)中国とLT貿易を結ぶ
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高碕達之助に学ぶ会発足記念講演会紹介

2018年02月19日(月)更新
「高碕達之助に学ぶ会」発足記念講演会を紹介します。
  • とき  2月24日(土)14:00(高碕翁命日)。
  • ところ 高槻市総合センター2F(入場無料)。
  • 主催  「高碕達之助に学ぶ会」
大木令司氏(元久敬会会長・高3回)がパネルディスカッションに参加されます。
※画像クリックで拡大→

 高碕達之助氏(中4回)は、120周年記念展示「資料でつづる120年の歩み」のなかの「著名な卒業生」コーナーで紹介されました。(2015年秋、久敬会館で開催)
久敬会ホームページの「周年記念行事」からご覧いただけます。
 
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京都大学名誉教授 村上陽太郎(中36)氏の 白寿のお祝い

2016年07月21日(木)更新
ご挨拶される村上名誉教授。
 中36回で、京都大学名誉教授の村上陽太郎氏は、非鉄金属材料の基礎と応用に関して、金属組織学的観点から研究し、非鉄金属材料学の分野で多大の貢献をされた方である。その村上陽太郎氏の白寿(99歳)のお祝いが、2016年2月27日に京都大学構内で行われ、教え子など110名が集った。
 当日は、 祝賀会に先立って、 「白寿を迎えて-私の歩んだ道」と題して、 約1時間の講演があり、 村上陽太郎氏は、 自らの歩んだ道を語られたが、 その中で、茨木中学校での体験が人間形成に大きく寄与した、 と熱く語られた。
 冊子にまとめられた、14章で構成された講演録を読むと、氏のこれまでの活躍の様子がよく分かるが、その中から、主に茨木中学校に関係する箇所を抜き出しておきたい。
 
1)  序に代えて
ご講演中の村上名誉教授。
 ……昭和の初めに、田舎の小学校から、町の旧制中学校に進学した。……毎日、中学校まで、片道5㎞程の田舎道を数人の上級生と歩いて通学した。……往復には、歩きながら、予習や復習が出来て、都合がよかった。……
 ……中学校の先生方は、皆人格、識見共に立派な方で、真剣に躾教育をして下さった。
尾池虎三郎先生には、特にお世話になった。……
 
2)  感謝したい茨木中学校で受けた教育
 北風の吹く寒い校庭を白い体操服で裸足で我々の先頭を走っておられる(杉本傳)先生の姿が浮かんでくる。 …… 小学校時代弱かった身体も 毎日5㎞位の道を徒歩通学していたお陰で丈夫になり、健脚にもなっていたので、先生には随分目をかけていただいた。……
お祝いの乾杯をする
出席者の皆さま。
 ……尾池虎三郎、西田栄一両先生の英語の初期教育は誠に正しい方法であったと、外国語が大きい役割を果たす我々の仕事には今でも役立っていることを有難いと思っている。……
 ……当時の(茨木)中学の恩師の方々は人間的にも立派な方々であり、生徒の教育・訓育に情熱を傾けて努力して下さった。 人間人格の形成の一番重要な時期に よい恩師、 よい友人に恵まれたことを改めて心から感謝したい

3)  第三高等学校の想い出
 私が三高の理科甲類に入学したのは1939年(昭和14年)の春である。……理甲という所は英文学のような講義が多かった。……英語の読解力がその後の援けになっている。……

4)  京都大学冶金学科に進学と恩師との出遭いと研究生活
村上名誉教授を
身近で讃える方々。
 …… 当時は既に戦争の気配が濃厚であった。 大学の先輩から、 金属材料が、 航空機や兵器の製造に極めて重要である事を聞き、冶金学科の内容も教えてもらい、合金の開発のような仕事をやりたいとの気持ちが強く、(三高の)隣の京都大学の冶金科に進学を決めていた。この進学は私の人生を大きく支配することになった。……
 
5) 終わりに
 100年に近い年月を私が歩んできた道をその時々の折り目を回顧した。先ず、中学時代に足で歩いた道は、やさしい、幸福な道であった。よい学業成績と健康な長寿の元を与えて呉れた。……
 ……多くの優れた研究者の協力を得て、金属学の分野で、業績を挙げる事が出来、多数の栄誉と賞を頂くことが出来た。私の歩んできた道は、多少の紆余曲折はあったが、幸福な道であったと言えるだろう。
 
花束を受け取り、奥さまと共に喜ぶ
村上名誉教授。
同じテーブルで喜びを分かち合う
村上名誉教授ご夫妻。


【村上陽太郎氏の略歴
1942年(昭和17年)京都帝国大学工学部冶金学科卒業
1944年(昭和19年)京都帝国大学工学部助教授
1953年(昭和28年)京都大学工学部教授
1981年(昭和56年)京都大学名誉教授

【主な受賞歴
1991年(平成3年) 第35回日本金属学会賞(学会の最高賞)
1998年(平成10年)第1回軽金属学会賞(学会の最高賞)
 
村上陽太郎氏は、「久敬会報」の「天つ空見よ」に、中36回の同窓会である「十和会」の記事を、平成24年まで計27回寄稿されていた方でもある。
 
(2016年7月12日 記)
psfuku

週刊「エコノミスト」9月1日号に茨木高校が登場!!

2015年08月19日(水)更新
週刊「エコノミスト」9月1日号に茨木高校が登場!!
~ “ 名門高校の校風と人脈 ” シリーズに掲載される ~

 このたび、週刊「エコノミスト」9月1日号(発売は8月24日)に母校の茨木高校が
“ 名門高校の校風と人脈 ” シリーズの中で取り上げられます。

 記事内容は、まず、校訓である「勤倹力行」、校風の「質実剛健」のことばが紹介され、3つ目には教育目標のひとつである「二兎を追う」が取り上げられ、その意味は
“ 勉学に打ち込むことはもちろんのこと、部活動や生徒会活動などもしっかりやろう ”
と説明されている。
 これらの3つことばが現在の茨高生の目指す方向、即ち、「校風」にもつながり 多くの卒業生を輩出した背景にもなっている。

 次に「人脈」では、ノーベル賞作家の“川端康成”や「一億総白痴化」の名言を吐いた戦後を代表するジャーナリストの“大宅壮一”を始め、多くの学者・研究者、文系学者、そして、経済界、政官界、文化芸術界、スポーツ界(特に水泳)、に名を残した卒業生を取上げている。

 是非、ご一読頂き、改めて『 茨木高校の“校風”と“人脈”  』の凄さを噛み締めつつ、私たちが過ごしたあの懐かしい茨木高校時代を思い出して頂ければ、と願って紹介させて頂きました。
(2015年8月17日)
psfuku

「偉大な先輩 高碕達之助氏の生き様を知ろう!」

2014年07月22日(火)更新
  昨年(2013年)12月に発売された「日中をひらいた男 高碕達之助」(朝日新聞出版:朝日選書913)牧村健一郎 著を読まれた久敬会員より、是非、多くの茨高関係者(卒業生を含む)に推薦図書として紹介して欲しいとの強いご要望を頂きました。実際、読みましたが、ご指摘の通りでしたのでホ-ムページで紹介させて頂きます。(高碕達之助氏は中4回の卒業生)

まず、本書の要約をしておきます。
《『高碕さん、私はあなたを存じ上げてますよ』。周恩来はにこやかに切り出し、戦後初となる日中会談を始めた。1955年バンドン会議開催直前に行われたこの会談は、7年後の日中LT貿易、17年後の日中国交正常化への道を切り開く。
対する高碕達之助は、外交官ではなく、国内では外交手腕は未知数といわれ、バンドン会議への出席もいわばピンチヒッターだったが、戦前から中国やアメリカをよく知る経済人だった。米フーバー大統領、ソ連フルシチョフ首相、エジプト大統領ナセル、インド首相ネルーなど世界のトップリーダーと懐を開いて交わり、敗戦国日本を再浮上させた桁外れな男の生涯を描き出す。》

私が氏のことを知ったのは、荘川桜がきっかけです。12年前のプロジェクトXを見たり、また近いところでは2年前の久敬会総会での吉原晶子氏の講演を聞いたりして、高碕氏の人間としての大きさに感じ入っていましたが、今回、この本を読んで、改めて自分の生き方を考えさせられました。また、こんな偉大な先輩が卒業した学校で自分が学んでいたことを誇りに思い、茨高に対する思いがさらに強くなりました。
この本の帯には「高碕なくして日中貿易はなかった。日中関係者必読の書」と書かれていますが、私は、敢えて「茨高関係者必読の書」と思い、紹介させていただいた次第です。
(2014年7月21日記)
psfuku

“ハイチ”の復興支援で頑張る卒業生がテレビに登場!

2013年12月17日(火)更新
supercopy-14.html supercopy-15.html supercopy-16.html supercopy-17.html supercopy-18.html supercopy-19.html supercopy-20.html supercopy-21.html supercopy-22.html supercopy-23.html supercopy-24.html supercopy-25.html supercopy-26.html supercopy-27.html ~ 高44回 大野拓也氏が12月9日(月)のテレビ大阪に ~
このたび、IOM国際移住機関ハイチ事務所に勤務する高44回の大野拓也氏が、 ハイチでの復興支援の活動内容につき、この7月に8日間に亘る密着取材を受け られ、その時の様子が2013年12月9日(月)の21時から、テレビ東京系列 (テレビ大阪)で、『世界 ナゼそこに? 日本人 ~知られざる波瀾万丈伝~』の 番組で放映されました。
番組に登場する大野拓也氏(高44回、阪大工学部卒)は、海外で活躍する災害時 簡易住宅のスペシャリストで、ミスターシェルターと呼ばれている。阪神大震災で自分自身が遭遇した出来事が忘れられず、今の仕事のきっかけとなり、2010年のM7.0のハイチ地震直後に移住して、ハイチ復興支援活動に従事している。
この彼の活動を8日間に密着取材した内容・姿がテレビ大阪で初公開されました。 そこでは、彼の波瀾万丈の人生ドラマを見つけることができることになります。 又、大野氏と来年卒業する高66期生との間で、人権委員を中心にビデオレターに よって交流したとの話もあります。
そこで、放映された内容を以下の通り、ダイジェストの形で再録してみました。
 
『世界 ナゼそこに? 日本人 ~知られざる波瀾万丈伝~』12月9日(月)放映
 
ハイチという国
 ハイチといえばカリブ海の青い海と白い砂浜が美しいリゾート地というイメージのある国ですが、実はそうではないこんな一面もあることをご存じでしょうか。
 2010年1月12日午後4時53分、ハイチ地震。M7.0の大地震は、死傷者およそ53万人、津波も発生し、倒壊家屋はおよそ30万戸にも及びました。さらに、2012年10月23日未明、ハリケーン「サンディ」。倒壊家屋およそ3万戸、再び多数の死傷者・行方不明者を出す大惨事となりました。自然災害に直面することが特別に多く、その度に多くの被災者が生まれるというハイチ。一体、こんな自然災害が起きた直後に移住し、貧しい被災者を救う日本人とはどんな人物なのか?
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