久敬会ミニ講演会(2)「世界の巡礼路を歩く」 2012年12月1日(土)

2013年05月09日(木)更新


日 時  2012年12月1日(土) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  問屋 正勝氏(高16回)
参加者  39名

講演内容
 定年退職を5年後に控えたある日、スペインに巡礼路があることを知りました。スペインの西北端にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して毎年世界中の国々から何十万人もの人たちが歩きに来るのです。退職までの5年間、すっかり錆びついた体に鞭打って、体力づくりに励み、スペイン語の勉強に力を入れました。
 そして、定年退職後、2007年から毎年スペインへ出かけて、スペインやポルトガルに広がる800kmから1000kmの巡礼路を歩くようになりました。歩いているといろいろな国の人たちに出会います。皆サンティエゴを目指して歩くいわば巡礼の同志です。その中には学校の先生、医師、看護師といった人たちも多くいました。巡礼路はロマネスク美術の宝庫と言われ、11世紀頃からの教会建築や美しい街並みが醸し出す雰囲気に浸るのは巡礼中の楽しみのひとつです。また麦畑の緑、黄色いひまわり、赤いアマポーラや紫色のラベンダーの花の群生地の美しさは今も思い出されます。そしてひと月歩いた後、初めて聖地サンティアゴに到着したときの感動は今も忘れられません。
 巡礼路では最初はやはり筋肉とかマメの「痛み」しかありません。しかし続けていると、喜びに変わっていくことを実感できます。
 歩き終わった後には、毎年、巡礼宿で2か月間、ボランティアをしています。巡礼路を歩くのもよい経験ですが、、土地の人たちと一緒になって巡礼者を受け入れてお世話をすることは、それ以上に良い経験です。巡礼宿の仕事は、部屋やトイレの掃除、食事の準備や後片付け、宿泊する人のマメの手入れや健康管理の手伝い、巡礼路の案内、宿帳と宿泊料の管理などいろいろですが、巡礼宿のトイレの掃除は特別な体験で、人生観がかわった感じがします。
 滞在中にこれまで10回くらい医療通訳をしました。巡礼中に体調を壊し、巡礼宿数日間寝込む人のお世話をしたこともあります。異国に来て言葉がわからない状態で不安でどうしようもない、そんな時、「いかがですか?」と声をかけてあげるだけで、翌日「ご親切は一生忘れません」と丁重なお礼を言われたこともありました。
 巡礼路上にある人口    400人のモリナセカ村は、私が毎年ボランティアをしている巡礼宿がある村です。偶然のきっかけから、私がコーディネーターとなって四国お遍路の町がモリナセカ村と交流を始めました。2010年にはモリナセカ村の村長一行が四国を訪問し、各地で大歓迎を受けました。
 スペインの巡礼路を歩くと決めて10年の歳月が過ぎました。これが10年前に望んでいたことなのか、これからどこへ行こうとしているのか、自問自答は続くと思います。
 

<講演資料>

アルベルゲでのボランティア

問屋正勝
 
ラテン文化に惹かれて
20代のころに海外出張で滞在した南米のラテン文化に惹かれ、退職の5年ほど前から定年後に備えてスペイン語の勉強を再開した。そのスペイン語教室で「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ばれる「スペイン巡礼路」のことを初めて知った。
 そのとき、昔の徒歩旅行の記憶がよみがえった。1963年の夏、19歳の私は山口にいる叔父を訪ねて大阪から500キロの単独徒歩旅行をした。リュックサックに毛布やテントなどを詰め込んで国道2号線を西へ歩いた。夕方になると神社やお寺の境内にテントを張って休むのであるが、必ずと言っていいほど地元の人たちがやってきて、夕食や風呂のもてなしを申し出てくれた。そのときお世話になった人たちの温かさは決して忘れられない。南米で接したラテン人や巡礼路で知り合ったスペイン人のメンタリティは、この温かさに通じるものがある。
 退職して時間ができたらスペイン巡礼路に是非行ってみたいと思うようになった。仕事の傍らスペイン語の勉強と体力づくりに励み、近くの丹沢の山々には毎週のように登り、北アルプス、八ヶ岳、尾瀬、箱根などにもしばしば出かけた。一方で、スペイン語に関しては、2006年5月に退職した後、神奈川県委嘱の医療通訳のボランティアを始めた。患者に接する心を学び、医療用語を日本語とスペイン語で勉強しながら、現在も週数回、神奈川県下の病院で通訳を行っている。
 私はこれまでに800キロの巡礼路を3回歩いた。ピレネー山脈東麓のフランスの村サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴに至る「カミーノ・フランセス」を2回、北海岸国境の町エンダヤからサンティアゴに至る「カミーノ・デル・ノルテ」を1回である。
 
<中略>
 
一人で歩いているときは、自然の風景、花、鳥、そして自分自身と会話を楽しむことができる。歩くというある意味単純な行為を続けていることで雑念から解放されて心が素直になり、美しいものや嬉しいことを敏感に感じられるのであろう。これまでの自分の人生にも思いは至り、これからどう生きるか、内なる自分との会話も始まるが、これは、考えがまとまることのない結論の出ない堂々巡りとなって終わるのが常であった。
 あるアルベルゲの中での祈りに参加したとき、
「いたずらに先を急ぐな。カミーノに歩かされていると思って歩け。カミーノが与えてくれるものを楽しめ。」
という話を聖職者から聞いた。この言葉が頭から離れず、カトリック教徒ではないが、いつしか神に感謝しながら歩いていた。
 
 
巡礼の心得
 巡礼は思い立ってすぐに実行したい人もいるであろうが、やはり時間をかけてしっかり準備するのが良いと思う。体を鍛えて現地では余裕を持って行動できる方が良い。体が苦しければ苦しみに耐えることに精一杯で、精神的なゆとりがなくなると、いろいろな意味で制約が出てくる。歩いているときは、自然を楽しむこと、人との会話を楽しむこと、孤独になって自分と向き合うことが大事と教えられたが、確かにそうだと思う。帰国してからは資料の整理や、巡礼で知り合った人との交流を深めることも楽しいことである。
 現役時代に出張などで15ヶ国を訪問した経験の中で、いつも心がけていたことは、世の中にはいろいろな価値観があると意識しておくことであった。国が違えばその違いは大きいこともある。その違いをあるがままに受け入れて尊重することが大切である。事前に相手の文化について理解を深める勉強をしておくことが重要になる。
 巡礼は、いわば真っ白なキャンバスに自分の持っている絵具で自由に絵を描く行為に似ていると思う。自由に描いて良いのだが、持っている絵具は各自異なる。単純な作業であるが故に、各自が持っている絵具によって出来上がる絵は個性あふれたものになると思う。最後にどんな絵になるか分からない楽しみがある。
gallery
 








通訳を兼ねて、この番組に出演しました。


 
psfuku
このページのトップへ