改めて知った茨中プールの栄光の歴史

2014年02月03日(月)更新
改めて知った茨中プールの栄光の歴史
~毎日新聞夕刊連載「ターザンの影」を読んで~
(全8回を読んでの感想です)

 
1月20日(月)から「毎日新聞」夕刊に連載されていた、「ターザンの影」(サブタイトル「茨木水泳団秘史」)が1月29日(水)で完結しました。
最終回を読み終えて、深い感慨に浸るとともに、もっともっとこの物語が続いてほしかった、という我儘な感想を抱いています。
私はこの連載を読むため、毎日駅の売店に出向き、新聞を購入しました。夕刊はコンビニでは販売していないからです。そして、新聞を手にすると、毎回わくわくしながら、読みふけり、そして、次回はどう展開するのだろう、と翌日の販売が待ち遠しくて仕方がありませんでした。さすが敏腕記者の筆です。読者の興味をぐいぐいと引きつけます。
 
物語は茨高の『創立90周年記念誌』に掲載された、1枚の写真の謎を追う、というところから始まりました。その写真には水泳の元オリンピックチャンピオンで、引退後はターザン役としてハリウッドのスターになったワイズミュラーと、高石勝男(中25)氏が写っています。高石氏は茨中でクロールを完成し、ワイズミュラーのライバルとなった水泳選手です。
90周年記念誌の座談会では、昭和15年にワイズミュラーが茨中に来校した時に写した、という回想談がありますが、記者はそれに疑問を抱きます。昭和15年は太平洋戦争開戦の前の年だから、米国選手の来日はあり得ない話だろう。とすれば、この写真は、いつ、どこで撮影されたものなのか? と。
その探索の物語の中で、高石氏はもちろん、茨中でクロールを初めて習得した入谷唯一郎(中25)氏や、茨中在学時代に日本人で初めて世界記録を樹立した入江稔夫(中30)氏も登場します。そして、日本初の学校プールを建設するのに尽力した杉本傳先生の功績、さらには、プールを掘った川端康成と大宅壮一のことも描かれます。
そうした記述を重ねた最終回で、写真の謎が解き明かされるのです。それについては、ここでは触れません。読んでのお楽しみです。
 
体育の授業で、あの緑色に濁った50メートルのプールで泳ぎ、10メートルの飛び込み台からこわごわ飛び込んだ卒業生の私としては、ワイズミュラーと「意外なつながりと友情」を結んだ高石勝男氏や、「卓越した発想と実行力」を持っていた杉本傳先生のことをもっと詳しく掘り下げてほしかった、というのが読後の率直な感想ですが、改めて茨中プールで活躍された先輩の方々に深い敬意を捧げたいと思います。

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久敬俳句会へのお誘い

2013年12月11日(水)更新
 久敬俳句会は平成13年12月に卒業生の集いの一つとして発足、平成24年には十周年記念句集を発刊するなど、句会、吟行会を楽しんでいます。又この度、世話人代表の塩川雄三氏(高2回)が大阪府の文化功労章を受賞された事は、一同の誇りとするところです。
 
一途さは吾にも欲しき恋の猫    高2回 塩川雄三
写メールでVサインする受験の子 高3回 小野晶子
梅ヶ香の部屋に迎へし新会員   高9回 小田ひろ
受験絵馬五色の千羽鶴を添へ    高16回 川原陽子
今着きし夜行列車や雪を載せ   高17回 平井和雄

 俳句結社の垣根を越えたこの集いへ皆様の御参加をお待ちしています。         (高4回 関口薫(鳥石)記)
―例 会―

■毎月第4木曜日
■久敬会館2階 会議室にて
   午後2時出句締切
■雑詠7句持ち寄り句会
■会費 年間2000円

■お問い合わせは
   高17回 生澤栄子(瑛子)まで
   吹田市江坂町3-45―16
   (TEL)06―6337―3516




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高63回  二十歳の集い

2013年12月10日(火)更新
 平成25年1月4日、63回卒業生の二十歳の集いが開催された。久敬会館に集まった240名を超える参加者たち。制服に身を包んでいたあの頃よりはちょっぴり大人になった私たちは、卒業後2年の空白を埋めるようにそれぞれの近況や想いを語り合った。友人たちは皆違う道を歩み、新たな環境で日々挑戦をし続けている。嬉しいような、少し寂しいような、不思議な気持ちになったのは私だけであろうか。一方で久しぶりに会っても変わらぬ笑顔と優しさに触れ、帰る場所がある安心感に包まれた。茨木高校で学んだ人間力と、二兎も三兎も追うたくましさは、卒業した今も活かされていると実感した。今後の人生で待ち受けているであろうどんな困難にも立ち向かっていける勇気をもらった1日であった。
特別な時
間を過ごした私たちは、前を向いて歩きだす。「また今度」成長した姿で会える日まで。


(橋本 紗良 記)
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高37回  卒業生プチ同窓会

2013年12月10日(火)更新
 去る平成24年9月1日、グランヴィア大阪にて高37回卒業生での「小さな集まり」を開催しました。
 交流のある者同士つなげば意外な顔とも再会できるかも、というのが発端でした・・・。結果総勢60名もの方に集まっていただくことができました。急遽お声かけしたにも関わらず、奥田稔先生もご出席くださいました!
 卒業以来の再会も少なからずありましたが、あっという間に高校時代に戻って盛り上がれた2時間でした。
 「小さな」、で始めた企画故こんなに集まってもらえるとは思わず、告知の仕方が中途半端になってしまい申し訳なく思っています。
 次は2015年に卒業30周年の会ができたらいいな、という話もちらほらありますのでその節は皆様よろしくおねがいいたします!



(一 章子 記)
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高25回  第5回学年同窓会

2013年12月10日(火)更新
 高25回生の第5回学年同窓会は、卒業40周年を記念して4月20日(土)午後2時より、茨木市役所南館9階のスカイレストランにて開催しました。
 当日の参加者は133名で、1時間毎に3年生クラス、2年生クラス、1年生クラスと席替えをしたため、懐かしい顔ぶれとそれぞれに賑わいました。
 また名札には、名前と共に、卒業アルバムからスキャンした写真を個々に付けましたので、互いに若かりし頃の写真を見合い、思い出話も大変盛り上がりました。
 回を重ねる毎に、準備や当日の手伝いを申し出てくれるメンバーが増え、30名以上がスタッフとなる同窓会となりました。
 
***その他、高25回生に関するご案内***
 
メーリングリスト(代表:塩谷穣)には、220名以上が登録しています。フェイスブック(代表:佐藤孝三)も、最近作成されました。東京会(代表:武田和倫・磯部智)の同窓会は毎年12月に開催。ゴルフは東京と大阪でそれぞれ年2回、テニス部(代表:小野佳紀・工藤敏美)は、毎週末に忍頂寺スポーツ公園で活動しています。

 上記に参加のご希望がありましたら、メールにてお気軽にお問い合わせください。
10組 安田智枝(旧姓中村)   E-mail: ibakou25【アットマーク】gmail.com
 迷惑メール対策のため【アットマーク】を@(半角文字)に変更してご利用ください


(安田 智枝 記)
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高21回  同窓会

2013年12月10日(火)更新
 第21回、同窓会を平成24年11月3日(土)にANAクラウンプラザホテルで、138人の同窓生と恩師大石、森村、奥田、安座間の4先生をお迎えして賑やかに行いました。
 同窓会も回を重ねるごとに旧友との交流はもちろんですが、学生時代は親しくはなかったけど、同じ頃に同じ場所で学んだという事で新交(親交)を深めていく関係もできてきました。
 それで、今回はテーマを「繋がろう!繋げよう!」とし、60歳を過ぎ、仕事や子育てに一息つき始めた私たちがつながりを大切にできる同窓会をめざしました。ウエルカムジャズの歌声、開会、恩師紹介、懇談、同窓生サークル茨木童子のリードで「みんなで歌いましょう」・・・
少しずつ盛り上がってきた頃に、つながり企画として14グループ(美術鑑賞、旅行、演劇・ライブ、ウオーキング、食べ歩き、ハイキング、料理、楽器、合唱、読書、健康・ヨガ、ゴルフ、写真)に席替えしての趣味:つながり席でお喋りが続きました。次回同窓会でその後を報告し合う事になっていますが、酔っ払っていて出席者の皆様方は覚えてもらえているでしょうか?
 最後は、体育祭を思い出しフォークダンスで終わりました。「あの子?の所まで、また行けなかった」と呟く人も・・・
 2次会にもほとんどの人が参加し、3次会、4次会もあったようです。次回から2年毎となり来年の予定です。21回名物1年かけて企画していく次の幹事さんたち(各クラス2 ~ 3名)よろしく。

(樫本 佳子 記)
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高15回  卒業50周年記念同窓会

2013年12月10日(火)更新
 4月7日卒業50周年記念学年同窓会をリーガロイヤルホテル京都で開催した。文字通り半世紀ぶりに再会した人もいて、受付開始前から早くもあちこちで歓声があがる。参加者133人が姿形はともかくも一瞬にして18歳に戻り、同所で開いた二次会含め5時間を大いに堪能した。
 開会迄の1年半に幹事14人が集まること5度、担当別に2度。なるだけ多くへの周知と充実の会を願ってアイデアを絞り、前年夏に開催予告を出す・一次会は卒業時二次会は入学時のクラス毎に着席・高校時代の写真を集め映像として会場に流す、などを決めた。中心となったのが元ホテルマンの長屋隆さんで、さすが配慮がきめ細かいと、出席者から賛嘆の声が引きも切らなかった。東京から皆勤し緻密なプランやデータ収集で脇を固めた安岡伸之さんなど、幹事一丸の努力が実を結んだと言える。
 恩師でご出席頂けたのは残念ながら青木昭二先生お一人だったが、会場を見渡して「アレ、先生はどちらに?」、誰が生徒か先生か…!(笑)。85歳には到底見えない先生のお若さ、生涯現役の生き方に皆が感動した。
 が、皆も負けてはいない。それぞれに今を青春している様が見えるようで、出席者紹介は聴き応えがあった。一次会終了前には校歌「天つ空見よ」、卒業した昭和38発売の「高校3年生」を大合唱して盛り上がった。
 一方、既に故人や、自分や家族の病気で欠席した人も少なくない。こうした仲間に思いを馳せ、参加できたことに感謝、健康に留意してまたの目見えを誓い合った。


(猪股 満智子 記)
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高14回  古稀記念同窓会

2013年12月06日(金)更新
 高校第14回生(昭和37年3月卒業)古稀記念同窓会を平成25年5月12日(日)に、4年振りにパナソニックリゾート大阪で開催した。
 参加者は、68名(男37名、女31名)であった。卒業生394名のうち物故者数は38名で前回より8名の方が鬼籍に入られました。近畿圏以外からは、北は茨城県守谷市から南は宮崎県日南市まで10名が参加してくれた。恩師は、大矢稔先生は体調不良、植栗左千子先生は海外旅行中、田中稔先生は出席を見合すとのご返事で、残念ながらご出席されなかった。
 吉田洋次君の司会で、まず東日本大震災犠牲者と新たに物故者となられた同窓生に黙祷をささげ、芝野孝一君の開会の挨拶、吉田光彦君の乾杯の発声の後、懇親パーティーに入った。
 当初クラスごとの席で『出欠の近況報告』をもとにお互い話し合っていたが、アルコールがすすむにつれ他のテーブルへ移動(特に6・7組の女子クラス)し和やかに歓談した。「歳をとると友づくりが困難になるとともにこれまでの友人がだんだん少なくなってくる。お誘いの会があれば必ず出席する」という日南市からの同窓の言葉が印象深かった。クラスごとの写真と全体写真を星野登茂一君他に撮影してもらった。在学中は恥ずかしくて口もきけなかった憧れの彼女(彼氏)と照れくさそうに写真に納まる人たちもあり、楽しいひと時を過ごした。
 次回のクラス幹事を決め、喜寿(77歳)を目指して再会を約束した。今回来られなかった同窓生は、次回の会合には是非とも出席されることを希望します。




(吉田光彦 記)
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高9回  懇親ゴルフコンペ

2013年12月06日(金)更新
 〝継続は力なり〟昭和45年(1970年)から延々春秋恒例となっている9回生ゴルフコンペが、平成25年5月14日快晴無風、絶好のコンディションのもとよみうりゴルフウエストコースで開催した。
 今回も遠来の横浜から小西督士、紅2点の安井理子、小田弘子など16名が参加、白球に興じた。
 集合時間の40分前に到着した早起き鳥もいて『ゴルフの日は早く目覚めるんだ』との言。古稀を超えているとはいえまだまだ気力・体力(?)共の充実は、60年前在校時の青年のまま。
 新緑のゴルフコースは、白球とのコントラストが目にも鮮やかで『かっ飛ばすボールも良く見えるね・・』とスコアには拘わることなく、色鮮やかなつつじは目に、鶯の囀りを耳に、楽しくラウンドできた春の一日だった。
 優勝は、何とハンディキャップ0の奥村博昭が9年ぶりに栄冠。
 新参加希望の方は、安田稔(072-696-5193)まで。
写真は前列左から、清水寅三、池澤晴三、中村毅、小田弘子、安井理子、安田稔。後列左から、岸野
光雄、奥村達雄、奥村博昭、小西督士、重田昌三、松田和久、大内實、数元啓晋、吉田満、細川捷。




(安田 稔 記)
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高8回  同窓会

2013年12月06日(金)更新
 霜降を4日過ぎた秋日和の10月27日、梅田キタ街の弥 生会館に91名が集う。
 恩師で出席いただいた青木先生、お元気で相変わらずバドミントンの虫。あいさつの中で、当日も府立体育館でバドミントンの試合を観戦されたとか。また、バド情報を中心にご自身もHPを開設されているとか。この学年にも、米倉など、先生のバドの薫陶を受けた者も多く、吉野幹事長も1年のとき、府の新人戦で優勝したとか嘘のような回顧談。
 卒業後56年も経つとみんな性格もまるくなり、和気あいあいのうちに青春にプレイバックしながら午後が過ぎた。好好爺(姥)の話声も、子どもや孫たちの話題で持ちきり。
一方で
自分たちのこれからに一抹の不安を抱える話題も囁かれた。みんな「桜花巡礼」から「残花巡礼」の齢になったが、サクラは散ったあとも「花模様、花筏、花吹雪」などの美しい刻を迎える。我々もこの時代に相当すると老いが意気盛んであった。
 381名卒業したが、鬼籍に入った者49名、居場所不明の者約70名、案内状を発送した者260名、そのうち91名出席、出席率35%。欠席理由で一番多かったのは、本人の体調不良(脳梗塞、脳溢血、ガン治療中、肢体不自由)など。他に当日、地域のボランティア活動に参加、旅行中など。後者は、1年半後の同期会に参加が見込めると幹事一同胸をなでおろした。
(藤原俊一 記)
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中46回  東京うだつ会

2013年12月06日(金)更新
 
 第20回「東京うだつ会」(第46回[昭和20年]卒、首都圏在住者同窓会)を、昨年と同じ霞ヶ関ビル35階、東海大学校友会の一室で行った。
 19名中10名が入院、急病、家庭療養中、遠距離などで欠席の回答だったが、大阪から鈴木君が駆けつけてくれ、昨年と同数の10人が元気な姿で参集した。
 例により、西田君の開会の挨拶、続いて長谷川君の時事講演、乾杯に始まり、12時~ 14時の予定を超過して和気藹々の間に、来年の再会を期してお開きとなった。

 写真は左から上田、佐藤、西田、清水、下田、鈴木、長谷川、山上、内山、彦坂(敬称略)
 
(山上 記)
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中46回  うだつ会 同窓会

2013年12月06日(金)更新
平成24年11月23日恒例の同窓会を行った。うだつ会は鈴木君ご夫妻に長いあいだお世話になったが奥様が亡くなられたので久富君と仁木君にお願いした。鈴木君有難う。また元気が出ればお願いします。場所も茨木の駅近くに仁木君のお世話で良い場所があったので今後はここで行なうことにした。

集まったのは17名。東京を含め
ると30名近くとなりこの歳になって集まったものだとお互いに感心している。同窓会に出席している常連はほとんど亡くならない。
席上で長生きのコツは何かと質問が
あったが出席者はここまで生きたのだからそれぞれうまく生きているのだ。長生きについては種々言われているがいいと思うことは実行し続けることだ。共通することもあると思うが引っ込みがちにならず明るくわいわい話すことやしゃべること。それも何も考えず気楽にしゃべれる中学の同窓会が最も良いと思う。

体が悪く長く欠席
の続いている平田君がおそらく自宅になったであろう柿を届けてくれた。外観はよくないが久しぶりで昔の柿の味を思い出しつつ頂いた。実に美味しかったがこれこそ昔の若かりし同窓に対する良き贈りものであった。
この
会はまだまだ続くと思います。有難う。
皆さんそれぞれ
の健康法によって体を大切にしこれからも皆勤してください。
(吉川 記)
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