演題:ライフサイエンスからライヴサイエンスへ
―ヒトの内なる自然を知るための知識と技術の融合―
講師:山岸 敦 氏 (高43回)(理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター チーフ・サイエンスコミュニケーター)
日時:2014年10月12日(日)14時から16時
参加:19名
担当行事委員:辻本、中西
山岸氏にはご多忙の中、STAP細胞で有名になった(後で質問も出た)理研から来ていただいた。氏の所属するライフサイエンス技術基盤研究センター長の渡辺恭良氏(高21回)は山岸氏の茨高先輩に当たる。本日の話題である「分子イメージング」は当センターの「生命機能動的イメージング部門」が行っている研究である。
分子イメージングとは、私たちの体の中で働いている分子に特別な目印(放射線を出す物質など)をつけて、PET(陽電子放出断層画像法)などにより体内での様子を、外から観察する方法である。特定の分子が体のどこで何をしているかを調べることにより創薬や病気の診断に利用されている。具体例として、乳がんやアルツハイマーの早期診断について説明していただいた。この度は、サイエンスコミュニケーターとして、科学研究(医学)の社会的貢献について、わかりやすく興味深く話された。
当日は、連休中で秋の行事が多く、参加者が少なかったが、熱心に聞いておられ質問も多くあった。後日、玉石和代氏(高16回)は、読売新聞2014年10月20日の投稿欄「気流」にこの会に参加した思いを、「まず第一歩が興味を呼び起こす」の題で次のように書かれている。
『高校の同窓会報を見て、「ライフサイエンスからライヴサイエンスへ」~ヒトの内なる自然を知るための知識と技術の融合~などという、さっぱり訳のわからないテーマの講演会に参加した。講演内容が理解できるかどうか危惧しながら席に着いた。開会直後、ルネサンス期の画家ラファエロのフレスコ画「アテネの学堂」が映し出された。アリストテレスとプラトンが描かれ、講演は哲学から?と思いきや、生物学から医学へ、そしてがんや認知症など身近な問題へと移って行った。生物学と医学の密接な関わりによって新しい薬や治療法が開発されたことや、ヒトを対象とした研究や技術開発の進展などがわかりやすく説明され、自分なりに生命と医療に関して考える機会を得た。理解できないような難解なテーマの講演も、一歩入ってみれば興味を呼び起こすこと改めて感じた。』
(講師プロフィール)
▪ 理化学研究所ライフサイエンス技術基盤研究センター チーフ・サイエンスコミュニケーター/大阪医科大学非常勤講師/日本発生生物学会会員
▪ 1995年名古屋大学理学部卒業。1999年同大大学院理学研究科博士課程退学。京都大学人文科学研究所、JT生命誌研究館、理化学研究所分子イメージング科学研究センターを経て2013年より現職。
▪ 著書: 『「生きている」を見つめる医療―ゲノムでよみとく生命誌講座』(2007年 講談社、共著)、『たまご大図鑑』(2012年 PHP研究所、監修)、『しぜん-キンダーブック第43集「たまご-うまれる-」』(2014年 フレーベル館、監修)
(講演内容) 以下の文はご講師からいただきました。
ライヴサイエンスと分子イメージング
ライヴサイエンス(Live Science)は、私の所属する理研ライフサイエンス技術基盤研究センター(Center for Life Science Technologies:CLST)が掲げている旗印の一つです。生命活動(Life)をライヴ(Live)でありのままに理解したい、そしてその成果を私たちの健康な暮らし(Life)を支える技術として活用したいという思いが込められています。ライヴサイエンスを実現するため、センターでは、体の中ではたらくタンパク質などの生体分子の構造を原子レベルで理解する構造生物学や、細胞の遺伝子発現を網羅的・定量的に解析するトランスクリプトーム、そして個体レベルで生体分子の動きを追跡する分子イメージングなどを駆使しています。今回は主に、分子イメージングを用いて明らかになった病気と分子の関係、そして診断や創薬に向けた取り組みを紹介します。
人は何を観てきたか
最新のイメージング技術をお話しする前に、まず人間は生きものをどう観てきたか、その歴史を振り返ってみます。生物の教科書では、生物学の祖としてアリストテレスが登場します。古代ギリシャを代表する哲学者であり、さまざまな生物を観察、分類し、生物解剖も行っています。その業績は、中世にいたるまで大きな影響を及ぼしました。
ルネサンスの時代になると、ダ・ヴィンチやヴェサリウスが人体の解剖に取り組み、生物としてのヒトの構造を観察し理解する解剖学が発展しました。動物に対してもヒトに対しても、肉眼で見えるところは外から中まで全てを記述するマクロレベルの観察は、生物学・医学の基本です。
一方、肉眼で見えない微細構造の記述を可能にしたのが、顕微鏡の発明です。17世紀にロバート・フックが、自作の顕微鏡でコルクを観察し、生物の共通単位である細胞を発見しました。光学顕微鏡や電子顕微鏡の発展は観察対象をよりミクロの世界へと広げ、さらに、細胞の中ではたらく分子のかたちを観る技術も登場します。その究極の成果とも言えるのが、X線結晶構造解析法によるDNA立体構造の報告でしょう。細胞の中にはDNAが規則正しい二重らせんの形で存在しており、この形にこそ生命の営みの原理(セントラル・ドグマ)が隠されていたのです。
遺伝子からパターンへ
DNAにたどり着いた生物学は、DNAのはたらきから生命を理解する分子生物学へと向かいました。そこで発達した技術の一つが、遺伝子が体のどこではたらいているかを観察する方法です。この技術が特に活躍したのが、私の大学時代の専門である発生生物学と呼ばれる分野です。
発生生物学では、昆虫の代表としてしばしばショウジョウバエが用いられます。昆虫の代表というより、節足動物の代表と言った方が良いかもしれません。体節という繰り返し構造で体ができている動物です。この体節がいつできるかというと、孵化するはるか前の卵の中で、すでに体をくびる線が現れています。ではそのくびれができる前には、体に何が起きているのでしょうか。
発生学者は、体節をつくる遺伝子がどこではたらいているかを可視化することに成功しました。驚いたことに、将来節になる部分に一致して、遺伝子のはたらく場所は卵に縞模様を描いていたのです。外見からはただの細胞の固まりですが、形をつくる遺伝子のはたらく場所は、ある特定のパターンとして観察できることがわかりました。この手法はすぐに他の動物にも応用されました。脊椎動物にはハエのような体節はありませんが、背骨やあばら骨のような繰り返し構造を生むパターンの形成には、ハエと共通な遺伝子がはたらいていることもわかりました。様々な動物の発生を遺伝子のはたらきで比較し、かたちの進化のメカニズムに迫る研究も進んでいます。
時間の中で生命現象を観る
このように、マクロからミクロへ、かたちからパターンへという観察対象の広がりが生物学の発展を加速させてきました。そして近年、新たなイメージング技術が、生物に流れる時間を捉え始めています。生きた細胞や個体の内部を継時的に観察するライヴイメージングです。
細胞や組織を可視化するには、一般的な手法では固定して染色する必要があります。この場合、例えば一連の生命現象の時間経過を見たければ、複数の細胞や個体を時間差で処理したものを並べることにより、1つの細胞や1つの個体を連続的に観察したとみなして議論を進めることになります。しかし実際に行っているのは、異なる細胞や異なる個体についての観察の集合体です。そのため、細胞ごとのばらつきや個体差が問題となる場合があります。また集団を平均化することによって、微小な変化を見過ごしてしまう危険性もあります。
一方、ライヴイメージングは、同一細胞・同一個体における時間の変化を追うことができます。これにより、生命活動を支える生体分子のダイナミックな姿が次々に明らかになってきました。また、受精卵が分裂して体をつくりあげるまでに、どの細胞がいつ分裂してどこに移動するか、一つ一つ追跡することも可能です。詳しい説明は今回は省きますが、ノーベル賞でも有名になった蛍光タンパク質を用いた様々な観察例が、大学や研究機関のwebページで紹介されていますのでぜひ探してご覧ください。
ヒトを診るイメージング
さて「生きたまま観察」という手法を技術的な観点で言うと、生体になるべくダメージを与えない観察法ということになります。これが特に重要な意味を持つのは、ヒトを対象とする研究です。医学用語に侵襲という言葉があり、体を傷つけることをさしますが、手術などやむを得ない場合を除き、検査・診断などでは低侵襲、非侵襲であることが強く求められます。そこで活躍するのが、皆さんご存知のX線やMRIなどの画像診断です。
画像診断は、一般的には骨や内臓などの「かたち」を観るというイメージがあるかもしれませんが、実は体の中の分子を観察する画像診断もあります。その代表例がPET(Positron Emission Tomography:陽電子放射断層画像法)です。これは、放射性同位体で標識した分子を体に投与した後、その分子の体内での動きを体の外から検出し、画像化する方法です。CLSTでは、PETを用いてさまざまな病気の診断を可能にしたり、よりよい薬や治療法の開発に役立てることを目指しています。
PET診断は主に、がんの早期発見で活躍しています。ここで観察対象としているのは、糖分子(グルコース)です(厳密には、グルコースの構造を一部変えてフッ素の放射性同位体を組み込んでいるので、似ているけど違う分子です)。糖はエネルギー源として体中の細胞で吸収されますが、特にがん細胞は増殖のために大量の糖を取り込む性質があります。そこで、体の中の糖を可視化することで、異常な糖代謝を行う細胞を見つけ、がんの場所を突き止めるのです。
現在、がんの場所を突き止めるだけではなく、がんの種類を見分け、どの薬が効くかという情報までPET診断で知るための研究開発を行っています。がんは体の中の細胞に由来しますから、患者さんのがん細胞の性質を詳しく調べるためには、がん細胞を体の外に取り出して検査する必要があります。これを画像診断で済ますことができれば、患者さんの負担を大きく減らすことができます。具体的には、乳がんに対する新しいPET診断法の確立を、国立がん研究センターと共同で行っています。(http://www.riken.jp/pr/press/2012/20120606/)。
患者さんごとに最適な治療・投薬を行うことを「個別化医療」と呼びますが、その前提となる患者さんの正確な診断を、非侵襲の画像診断で行うわけです。
分子と病気の関係を観る
病気の発症には、体の中ではたらく様々なタンパク質(分子)が関与していると考えられます。分子の異常をいちはやく察知しそれを正常な状態に戻すことができれば、発症する前に治療する究極の予防が可能になるかもしれません。このような考え方は「先制医療」と呼ばれ、いま注目されている医療テーマです。特に生活習慣病は、発症するまで時間がかかり、発症後の治療で完治させることが難しいことが多いため、先制医療の実現が期待されています。
そこでCLSTでは、PETによる発症前診断・早期診断の実現に向けて、がんや認知症のほか、
痛風(http://www.riken.jp/pr/press/2011/20111202_2/)、
緑内障(http://www.cmis.riken.jp/news/2012/0201glaucoma.html)
などにも取り組んでいます。また慢性疲労症候群のような従来の医学検査では身体的な異常を見つけることができなか
った疾患についても、PET検査による病態の解明が期待されています。(http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140404_1/)
○○の狩人
第二次大戦後しばらくの間まで、日本人の死因の大半を占めていたのは結核に代表される感染症でした。現在は皆さんご存知の通りがんがトップであり、糖尿病などの生活習慣病、認知症が高齢社会の課題となっています。多くの人が罹ってしまう病気の原因は、この100年の間に、外因(体の外から来る病原体)から内因(個人の体質)にシフトしていったのです。
19世紀から20世紀初めにかけて、「微生物の狩人」は、微生物学や免疫学を駆使し、感染症に対する治療や予防法を確立しました。そして分子生物学が興った20世紀半ば以降、がん遺伝子や生活習慣病関連因子を突き止める「遺伝子の狩人」が活躍しています。次に登場すべき狩人は、病気になる前の私たちの体の中では何が起きているのかを正確に知り、先制医療の実現を目指す「未病の狩人」ではないでしょうか。ヒトを知る科学・ヒトを観る技術の一層の発展が必要であることを、この機会に知っていただければ幸いです。
* 今回引用した研究成果は、ライフサイエンス技術基盤研究センター生命機能動的イメージング部門と、その前身である理研のセンター(分子イメージング科学研究センター)で行われたものです。これらの研究をご支援くださった方々に感謝いたします。
* ライフサイエンス技術基盤研究センターにご関心のある方は
センターのweb(http://www.clst.riken.jp/index.html)を、分子イメージングについては
パンフレット(http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/publications/pamphlets/clst-general.pdf)を
ご参照ください。