演題:「大学の過去・現在・未来―日本とフランスの比較から」
日時:2016年1月24日(日) 14時~16時15分
講師:白鳥義彦(高36回 神戸大学大学院人文学研究科教授)
参加者:15名
担当行事委員 辻本、安田、中西、根来
当日は極寒の日で、今冬の最低気温を記録した。熱心な参加者を前に、ホットな講義が行われた。テーマは多少専門的であったが、京都大学、東京大学大学院、パリ第一大学大学院、他大学での研究をもとに話は順を追って丁寧に進められた。導入として、現在の大学教育(高等教育)について、日本とフランスの比較を話された。次に、19世紀末の高等教育の導入と改革について、日本の帝国大学とフランスのグランド・ゼコールから歴史的に現在までの流れを説明された。
そして戦後の新制大学の成立から最近の動向、さらに大学の未来についてまで、流れるような講義に聞き入りました。質問も2~3あって予定の時間を15分オーバーして終了した。
大学教育の在り方は、日本の将来に関わり、国民の大きな関心事でもあり、現在、さまざまな議論が行われている。私たちも大学像について関心を持ち、改めてそのありかたを考え、その動向を見守って行きたいと思った。
講演要旨(この原稿はご講師から頂きました)
当日は、時間軸における日仏両国の対比のなかで、以下のような論点に沿って話を進めた。
1.日本とフランスの比較の視点
日本において、高等教育の問題を考える際には、ともすれば米英の大学が比較や参照の対象とされがちであるが、中世以来の大学の歴史の有無、英語圏に含まれない「周縁部」に置かれているという日仏両国に共通する状況、ヨーロッパの大陸型の大学のあり方等からして、フランスも比較や参照の興味深い対象となり得る。国際的に見た両国の特徴として、フランスにおけるグランド・ゼコールの存在、日本における私学の比重の高さをまず挙げることができる。
2.19世紀末の高等教育の導入/改革
明治維新後、日本に近代型の高等教育制度が導入された当初には、工部省工部大学校、司法省法学校のように、実学型のフランスの「グランド・ゼコール」に通ずる教育機関が存在していたが、後に帝国大学(東大)に収斂して、官僚養成が中心的な役割として期待されるようになる。帝国大学は、中世ヨーロッパからの伝統的な学部である神・法・医・文・理の枠を超えた工学部を、世界的な大学の歴史において大学内に初めて取り入れたとされる点でも注目される。また、帝国大学令第1条に「国家ノ須要ニ応スル」と記されているように、日本の大学には「国家のための大学」という性格づけが出発点から刻印づけられている。
明治維新と同じ時期に、フランスでも普仏戦争の敗北と、第二帝政の崩壊、第三共和政の成立という大きな変動があり、19世紀末に高等教育改革が進められていった。この改革の特徴としては、普仏戦争におけるフランスの敗北は軍事力の面ばかりでなく、フランス科学の敗北でもあったという認識のもと、「科学」に大きな価値を置きながらこれをシンボルとしての社会統合や社会改革が考えられ、その「科学」が行われる場として、「応用」の場としてのグランド・ゼコールと対比される大学の再興が考えられていたということが指摘できる。
3.第二次世界大戦後の時期
日本における第二次世界大戦後の教育改革は、高等教育についても大きな変革をもたらした。戦前の日本の高等教育制度は、帝国大学を頂点としたヒエラルキーによる複線型として特徴づけられるものであったが、こうした旧制の高等教育諸機関をすべて単一な四年制の新制大学に再編する、学校体系の民主化、一元化の原則が貫かれ、この原則に基づく改革が進められたのである
4.1960年代末の大学闘争とその影響
1960年代末には、世界各国で学生による異議申し立てがなされたが、日本およびフランスも例外ではない。また、日仏両国ともに、こうした大学闘争を受けて高等教育改革が試みられたが、その方向性には対照的な側面が見出される。
日本では、大学闘争への直接的な対応として、1969年の臨時措置法により、学長を中心とする執行部の強化を可能にする措置がとられた。さらに、その後の政策的な対応として位置づけられ得る、1971年の中央教育審議会によるいわゆる「四六答申」では、次のような方向性が示された。
(1)高等教育の多様化のための高等教育機関の種別化と類型化
(2)教育目的、教育機能の重視
(3)学内の中枢的管理体制・機能の強化と、国公立大学の設置形態の改革
(4)高等教育の計画的整備
(5)適当な私立の高等教育機関に対する標準教育費の一定割合の助成
これらのうち、いくつかについて特に言及するならば、(1)は戦後の高等教育改革の柱であった学校体系の一元化とは異なる方向に舵を切るものである。(3)では管理強化が目指されるとともに、この段階で、2004年の国立大学法人化につながる設置形態の改革の方向性が示されていたのである。
さらに、1973年には最初の「新構想大学」としての筑波大学が創設されたが、新構想の要点としては、以下の諸点が挙げられる。
(1)教育・研究を一体的に行なう学部の代わりに、研究のための組織として学系を、教育のための組織として学群・学類と大学院の研究科を置くこと。
(2)学長、副学長を中心とする中枢的管理機能の強化と全学的な管理運営組織の整備。
(3)学外の意見を大学運営に活かすため、学長の諮問機関として学外有識者からなる参与会を設ける。
ここでも、学長を中心とするいわゆる大学執行部の管理機能の強化や、大学運営への学外者の関与等、今日の動向につながる方向性が示されていた。
一方フランスでは、1968年の「五月革命」への直接的な対応として、1968年11月に「高等教育基本法」(エドガー・フォール法)が成立した。この法律は、以下のような内容を有している。
(1)従来のファキュルテ(学部)は廃止され、代わって「教育研究単位」(UER)によって大学が構成されることとなった。これは、19世紀末以来の、学部ごとの分断を超えた「総合大学」の確立を目指すという方向に連なるものである。
(2)大学人を指すために「教員=研究者」(enseignants-chercheurs)という語が作られ、「教育研究単位」という名が用いられるようになった。これは、教育と研究の役割を明示化するためのものである。
(3)国家が後見の度合いを緩めることを示し、新しい制度に一層の正当性を与えるために、5年任期で教員の中から選ばれる「学長」(président)が大学運営の責任者として新たに位置づけられることとなった。なお、従来は中央省庁から派遣される「大学区長」(recteur)がトップの位置づけであった。
(4)従来行なわれていなかった学生の職業選択に関する指導が大学に義務づけられた。
(5)成人教育への大学の寄与を規定し、大学はすべての人々に開放されるべきことを明確化した。
(6)一大学区に複数の大学を創設できるとした。
(7)講座制の廃止を定めた。
(8)大学の運営への、正教授以外の教員、学生、職員、大学外の者といった、従来の教授以外の、幅広い人々の参加を規定した。
こうした内容を日本の場合と比較するならば、(8)での大学運営への学生、職員らの「参加」に明示的に示されているように、大学闘争で提起された課題を踏まえながら、大学をより開かれた場としていこうという、日本での管理強化とは異なる方向性を見出すことができる。
5.最近の動向
近年の大学をめぐる議論では、国際的な大学ランキングが引き合いに出されることも多い。Times Higher EducationのWorld University Rankings 2015-2016における、上位100大学の国別分布には、アメリカが39大学、イギリスが16大学、ランクづけされており、この二つの国でその半分以上の数を占めている。その一方で、日本は2校、フランスは1校が100位以内にランクづけされるにとどまっている。
こうした状況も背景としつつ、21世紀に入った後の時期にも、日仏両国では高等教育改革の動きが進められている。日本では2004年に国立大学の法人化が行われ、フランスでは2007年に「大学の自由と責任に関わる法律(LRU)」が成立した。
こうした近年の改革では、両国ともに、学長をはじめとする大学執行部を中心とした機動的な大学運営を目指すという方向性は共通している。一方、日本では、国立大学の法人化以降、実態としては文部科学省による「関与」が強まっているとも考えられるのに対して、フランスでは、大学運営への学生の参加に象徴される、民主的側面は維持されている。このように、近年においても両国の大学改革には、共通点とともに根本的な相違点も見出すことが可能である。
6.大学の未来?
近年の日本の大学界は、大学間、学問分野間の序列化や、資源の選択的配分がますます強化される傾向にある。また、旧帝大を頂点とする戦前からのヒエラルキーは戦後すぐの改革の動きにも関わらず結局温存され、競争的資金の配分状況などを見ても、「強者」はますます強くなる傾向にあるとも言える。さらに、「グローバル化」、「実利化」といった傾向を旗印とした大学教育の変容も見受けられる。
政府からの関与が強かったり、私学=民間・家計への負担転嫁がなされたりという、日本の今日の大学のあり方は、結局、欧米とは異なって国の下部機関として大学が導入された、明治初期の大学制度導入の出発点からの一連の展開のなかでの、歴史的な特性を負ったものである。
2004年度からの国立大学法人化以降、2013年度までの10年間で国立大学法人運営費交付金予算額は13%減額されている。また定員割れの私学も増加している。かつてはより多くあった助手・助教などの若手ポストは減少し、研究や教育のプロジェクト案の構想・執筆や評価への対応をはじめとして、それ自体としては必要な事柄であるにせよ、教員はますます多忙化してきている。今日、また将来への見通しとして、大学は魅力的な場となっているのであろうか?大学に確固たる展望や明るい未来が開けているわけでは必ずしもないが、目先の事柄への対応などに追われるばかりでなく、大学の本来あるべき姿というものを考えていくことも、実は今日ますます重要なのではないだろうか。