久敬会ミニ講演会(1) 「私の海外ボランティア」 2012年10月8日(日)

2013年05月09日(木)更新
(2013年6月27日修正)

日 時  2012年10月8日(月) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  井田 誠夫氏(茨高旧職員)
参加者  23名

講演内容
 初めに予定されていた9月30日は、台風の影響で警報が出ていたため、1週間延期されました。それでも参加を申し込まれていた人は、ほぼ全員の方がお越しいただきました。
講師の井田先生は茨高の旧職員(理科担当)で山岳部の顧問をされていたということで、当時の山岳部のメンバーから花束の贈呈がありました。講演の内容を以下に略記します。
 定年後6年間、パプア・ニューギニア、ホンジュラス、ラオスでボランティアとして大学や公立・私立学校、子ども博物館の理科教育に携わる中で、“発展途上国”における教育の困難さを実感した。
 最初に行ったパプア・ニューギニアでは、いまだに太平洋戦争の傷跡があちこちに残っており、人々は戦争のことを今も忘れてはいなかった。治安もあまりよくはなく、私はボランティアとして何をしたらいいのか?という思いに駆られ、なんだか空回りをしていた2年間ではなかったか?という気持ちにもなった。日本の援助でできた図書館はあっても本はなく、また毎日モデル授業を指導し、衛星を使うTV放送を作成して放映しましたが、教師自身の学力不足や放送受信の問題等、有効な活用は難しいようだった。

 次に行ったホンジュラスは、一部の富裕層と大部分の貧困層からなり小学校を終えるのは6割程度である。公立学校へ通う生徒は、家庭環境も悪く貧しい生活を強いられている。一方で私立学校は割合レベルが高い所が多かった。学校の先生はできることは何でも見つけてやっていこうという姿勢が感じられ、そういう意味ではやりがいのある環境であった。国民性は喜怒哀楽の表し方が素直で、「アスタマニアーナ」「また明日やろうよ」という世界で、人々は家族や友人、今日を生きることを大切にしている。
最後にラオスに滞在した。ラオスは内戦終結と共に、1975年社会主義国として独立した。しかしその後、教育にはあまり力を入れてこなかったようで、そのため先生自身も理解できていないことが多く、生徒にとってはより一層わからないことが多い。国立ラオス大学を卒業して教員になっても、教員だけでは生活できないという状況がある。また外国の援助による理科実験器具はあっても、使い方がわからず、新品の顕微鏡が13年間封を切らずに放置されていたり、そしてここでも教師の学力の低さには驚いた。
また内戦が続いたため、小中学校の教育を満足に受けられなかった人も多く、いかに基礎学習が大切かということを知らされた。日本からもJICAを通じて援助がなされている。これからも、特に医療や教育についての先進国からの援助が必要で、ラオスの国民全体の基礎学力を上げる必要が感じられた。
いろんな国でのボランティア活動を通じて、翻って考えるに、日本の教育は果たして先進国といえるのだろうか?今後の理科教育のありかたを考えるきっかけともなった。

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ハイキング「隠れキリシタンの里・竜王山」 2012年11月17日(土)

2013年05月09日(木)更新

 天気予報が当たり、全国的に雨天になった11月17日(土)、朝8時30分過ぎになると阪急茨木バス停2番乗り場には、ハイキングの格好をして傘を差した中高年の男女が姿を見せ始め、55分発の忍頂寺行きに乗車した人は13名になった。「前日19時前のNHKの気象予報で17日午前中の降水確率が50%以上の場合は中止」としながらも、その場合でも「キリシタン史料館見学は可」であり、「当日の状況によっては希望者のみで短縮コースも検討する」と、参加予定者には事前にアナウンスされていたため「雨ニモ負ケズ」メンバーが集まった。
 一行は千提寺口バス停から15分程歩いて「キリシタン遺物史料館」に到着、学芸員2名の出迎えを受けた後、「キリシタンの伝来と茨木」「隠れキリシタンと遺物発見秘話」等のビデオを鑑賞した。晴天であればダイジェスト版の予定であったが、この日は40分近くフルで見ることになった。遺物発見の最大の功労者である藤波大超氏(中18回)のユーモラスな解説・説明の場面では、思わず笑い声が起こっていた。
 かなりの雨になってきたが、11名はビデオの中でも紹介されていた「キリシタン自然歩道」を歩くことを選択、「竜王山荘」へと向かった。約30分で到着、貸切り状態の中、注文した食事が出てくるまでの間を利用して全員が自己紹介、和やかな雰囲気に包まれた。雨脚は一層激しくなってきており、竜王山頂への登山は無理であろうと誰もが得心できる状況になっていたため、その場でゆっくり寛ぎ記念写真を撮った後、1時40分のバスに全員乗り込んで帰路についた。海外の山の経験者から健康目的で参加したという人まで様々で、「また機会があれば」という雰囲気の中での散会となった。
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久敬会ミニ講演会(2)「世界の巡礼路を歩く」 2012年12月1日(土)

2013年05月09日(木)更新


日 時  2012年12月1日(土) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  問屋 正勝氏(高16回)
参加者  39名

講演内容
 定年退職を5年後に控えたある日、スペインに巡礼路があることを知りました。スペインの西北端にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して毎年世界中の国々から何十万人もの人たちが歩きに来るのです。退職までの5年間、すっかり錆びついた体に鞭打って、体力づくりに励み、スペイン語の勉強に力を入れました。
 そして、定年退職後、2007年から毎年スペインへ出かけて、スペインやポルトガルに広がる800kmから1000kmの巡礼路を歩くようになりました。歩いているといろいろな国の人たちに出会います。皆サンティエゴを目指して歩くいわば巡礼の同志です。その中には学校の先生、医師、看護師といった人たちも多くいました。巡礼路はロマネスク美術の宝庫と言われ、11世紀頃からの教会建築や美しい街並みが醸し出す雰囲気に浸るのは巡礼中の楽しみのひとつです。また麦畑の緑、黄色いひまわり、赤いアマポーラや紫色のラベンダーの花の群生地の美しさは今も思い出されます。そしてひと月歩いた後、初めて聖地サンティアゴに到着したときの感動は今も忘れられません。
 巡礼路では最初はやはり筋肉とかマメの「痛み」しかありません。しかし続けていると、喜びに変わっていくことを実感できます。
 歩き終わった後には、毎年、巡礼宿で2か月間、ボランティアをしています。巡礼路を歩くのもよい経験ですが、、土地の人たちと一緒になって巡礼者を受け入れてお世話をすることは、それ以上に良い経験です。巡礼宿の仕事は、部屋やトイレの掃除、食事の準備や後片付け、宿泊する人のマメの手入れや健康管理の手伝い、巡礼路の案内、宿帳と宿泊料の管理などいろいろですが、巡礼宿のトイレの掃除は特別な体験で、人生観がかわった感じがします。
 滞在中にこれまで10回くらい医療通訳をしました。巡礼中に体調を壊し、巡礼宿数日間寝込む人のお世話をしたこともあります。異国に来て言葉がわからない状態で不安でどうしようもない、そんな時、「いかがですか?」と声をかけてあげるだけで、翌日「ご親切は一生忘れません」と丁重なお礼を言われたこともありました。
 巡礼路上にある人口    400人のモリナセカ村は、私が毎年ボランティアをしている巡礼宿がある村です。偶然のきっかけから、私がコーディネーターとなって四国お遍路の町がモリナセカ村と交流を始めました。2010年にはモリナセカ村の村長一行が四国を訪問し、各地で大歓迎を受けました。
 スペインの巡礼路を歩くと決めて10年の歳月が過ぎました。これが10年前に望んでいたことなのか、これからどこへ行こうとしているのか、自問自答は続くと思います。
 

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