記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」

2015年10月14日(水)更新
無事開催終了いたしました。
おって、そのときの模様はホームページへ紹介します。

 
記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」
パネルと秘蔵資料200点以上展示中。
 
10月13日~10月24日(土)開館時間10時~16時30分
久敬会館2Fで開催中です。この機会をお見逃し無く。
 

準備中の久敬会館

【展示概要】
  1. 歴史外観(明治期・大正期・昭和前期・昭和後期・平成期)
  2. 思い出の校舎
  3. 伝統ある行事(体育祭・妙見夜行登山。修学旅行・その他)
  4. 著名な卒業生コーナー
    高碕達之助(中4回)、川端康成(中18回)、大宅壮一(中21回)、米沢富美子(高9回)
  5. プールと水泳(入江稔夫(中30回)オリンピック銀メダルほか)
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【2】記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」のご案内/「創立120周年」記念行事

2015年09月03日(木)更新
(本記念展示は学校との共同開催です。)

2015年10月13日(火) ~ 24日(土) 会場:久敬会館2F会議室
開館時間10時~16時30分  
 (申し込み不要、直接お越しください。)
展示内容】
100周年の時に整理された校内史料をもとに、この度の120周年に際して、次のようなテーマごと
に展示が行われる。
①母校の120年  
②旧校舎  
③プールの歩み(入江稔夫氏1932年ロス五輪の銀メダル展示)
④伝統ある行事  
⑤著名な卒業生(高碕達之助、川端康成、大宅壮一、米沢富美子)

記念展示は、
90周年では、ほぼ今回と同様な形で「母校90年の歩み展」が久敬会館で行われた。この時は川端のノーベル文学賞メダルと表彰状、生物学の桑田義備の1960年文化勲章、入江の銀メダルが展示された。
100周年では、写真で綴る「茨木高校100年の歩み」展が茨木市立川端康成文学館で開催された。
110周年では、記念展示は行われていない。
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【3】久敬会妙見夜行登山のご案内/「創立120周年」記念行事

2015年09月03日(木)更新
妙見夜行登山は100周年、110周年に続いて今回は3度目です。
  • 日時:2016年1月30日(土)16時~31日(日)8時 (雨天中止、予備日なし)
  • コース:Lコース(50キロ)茨木高校→妙見山→茨木高校
         Sコース(30キロ)東能勢→妙見山→茨木高校 (東能勢でLコースと合流)
  • 参加費用:3,000円(記念Tシャツ、軽食、保険など)
  • 集合:久敬会館30日16時  解散:久敬会館31日8時(予定)
  • 参加予定人員:50名程度(参加者は久敬会員に限る。人員超過の場合は実行委員会で抽選)
  • 申し込み:参加希望者は下記のクリックで実施要項、申込書、誓約書の内容を確認してから、
           申込書・誓約書の提出と共に参加費の送金を行って下さい。
           申込期間は、9月1日(火)~11月15日(火)(必着)です。
 
 

【実施要項】  【申込書】  【誓約書】   ← 左の書類名を(左)クリックするとpdfが表示されます。

 
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【4】プール開放の集いのご案内/「創立120周年」記念行事

2015年09月03日(木)更新
学校プールを久敬会員に開放 (100周年、110周年、2012年に続き、この度は4回目)
2015年9月6日(日) 13時30分開会式
16時まで自由に遊泳して下さい。
申込はメール・ファックスまたは電話にて事務局までお申し込みください(卒回・お名前・電話番号)。
当日は、正門入ってすぐの屋内プール前の受付で住所と名前を記入して下さい。
参加者はスポーツ保険に加入します。
車でのご来校はご遠慮ください。

 

 
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「質実剛健」の額

2015年08月03日(月)更新
「質実剛健」の額
 
 
“母校創立120周年を迎えて”、貴重な資料を紹介します!
~ 第3弾 
 
 久敬会館会議室に「質実剛健」の額が飾られている。揮毫者は幣原坦(しではら・たいら)だが、今やその名を知る人はほとんどいないだろう。
 幣原坦は、幣原喜重郎の兄である。久敬会員ではない。

 幣原喜重郎は大正末期から昭和初期にかけて、外務大臣として平和外交を推進し、国際協調路線を唱えたが、軍部から「軟弱外交」と批判を受け、辞任に追い込まれた。幣原喜重郎が表舞台に返り咲くのは、終戦直後の昭和20年。昭和天皇の命を受けて首相に就任し、GHQの占領政策の下で憲法草案の作成に取り組んだ。

 幣原坦は政治家ではなく、東京帝国大学教授、広島高等師範学校長を経て、昭和3年に台北帝国大学総長となった歴史学者。晩年は生まれ故郷の門真市で過ごし、昭和28年6月、84歳で亡くなっている(『門真市史』第六巻による)。

 久敬会館に飾られている、この「質実剛健」の額が、いつ、どのような縁で揮毫されたのかはよく分からない。辻本昭信(高16)が事務局長時代に、この額の表装を新たにする時に、当時の会長であった森脇茂(中36)に聞いたところでは、講堂の一方の側にあった「勤倹力行」の額と対になるように書いてもらった、という。卒業生である森脇茂は、昭和23年4月から昭和53年3月まで母校の茨木高校の国語科教員として勤めている。ただ残念なことに、いつ書いてもらったのか、という肝心な点の話がその時になされていない。

 『創立90周年記念誌』を見ると、昭和10年11月に行われた新校舎落成式の講堂の写真が掲載されているが、辻本が森脇から聞いた、その回想を裏付けるように、そこには向かって左に「勤倹力行」の額しか写っていない。そして同じく『創立90周年記念誌』にある、昭和30年10月に挙行された創立60周年記念式での講堂写真には、対になるように、向かって右に「質実剛健」の額が飾られているのがはっきりと写っている。

 幣原坦が亡くなるのは、先に記したように昭和28年のことだから、この額が揮毫されたのは、昭和10年から昭和28年の間ということになる。もう少し期間を絞るために推測してみると、坦が枢密顧問官を辞したのが昭和22年5月で、その後郷里の門真に帰っているので、この額もその頃に書かれたのかもしれない。
『茨木高校百年史』にも記述がなく、また戦前の「会報」は昭和18年が最後で、「久敬会報」の復刊第1号が刊行される昭和28年まで会報の空白期間があるので、詳細は不明である。
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「大道無門」の額

2015年04月07日(火)更新
 
“母校創立120周年を迎えて”、貴重な資料を紹介します!
 
 久敬会館会議室に高碕達之助(中4)揮毫の「大道無門」の額が飾られている。昭和30年に本校の卒業生として初めて国務大臣に就任したのが高碕達之助である。その慶賀の年にちょうど本校も創立60周年という記念すべき節目を迎えたので、昭和30年1月27日に高碕の記念講演会が行われた。高碕は茨中時代の思い出、現下の日本情勢、そして野口英世博士の母堂の手紙をもとに青少年の将来の指針を示し、会場の在校生やPTA、久敬会員有志に多大の感銘を与えた。

 昭和30年2月発行の「久敬会報 第3号」の記事には、この「大道無門」が記念講演会当日に揮毫された、との記述があるが、額には「乙未中秋」とあるから季節が合わない。ちなみに「乙未(きのとひつじ)」は昭和30年の干支である。これは、あるいは、10月20日の60周年記念式典の時に揮毫されたのかもしれず、それなら季節は合うが、詳細は不明である。

 なお、校長室にも同じ額(それにも「乙未中秋」と書かれている)がある。
「大道無門」とは、『無門関』にある、何ものにも縛られず制約も受けない、絶対自由の境地を意味する禅語である。
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「以文会友」の額

2015年04月07日(火)更新
 
“母校創立120周年を迎えて”、貴重な資料を紹介します! ―第2弾―
 
 久敬会館会議室に川端康成(中18)揮毫の「以文会友」の額が飾られている。これは昭和40年の70周年来校時に川端が書き残した「書」がきっかけになり、ノーベル賞受賞記念碑のために改めて川端に書き直してもらったものをもとにしている。

 昭和40年10月2日、創立70周年記念式典が新体育館で挙行され、その翌日の3日に川端康成・大宅壮一(中21)による記念講演会が新体育館で開催された。この講演会後に両氏に色紙を書いていただいた。大宅壮一は「男の顔は履歴書である」で、川端康成は「以文会友」であった。
 その後、川端の色紙の現物は所在が分からず、コピーしか残っていなかったが、その色紙をもとに、創立90周年には鉄製のペン皿、100周年には複製色紙を作って記念品として販売した。

 久敬会館の大きな額「以文会友」は、上記の色紙とは別の書である。川端が昭和43年にノーベル賞を受賞した記念として、翌44年に久敬会が当時の正門(現、北門)を入って右手の所に「以文会友」の碑を建立した。この碑の建立に当たり、その時の会長と理事長であった森脇茂(中36)・上下真一(中38)が鎌倉の川端邸を訪問し、川端に揮毫を直接依頼された。森脇元会長は当時のことを「あの独特のぎょろ眼で、しばらく言葉なくじっと睨まれて怖かった」と回想している。

 昭和60年は90周年の年で、記念事業として久敬会館の改造・改装を行うことになっていた。この準備のため、会館倉庫を整理していた当時の事務局長の辻本昭信(高16)が、一字一字別々に書かれた「以文会友」の書と「川端康成」の名を書いた計5枚の紙を包んだものを発見した。埃にまみれ、紙は汚れて一部は虫に食われていたが、これをなんとか修復して久敬会館に飾れないか、と辻本は考えた。当時、辻本が顧問をしていた生物部員の木村清美(旧姓斎藤 高38)のお父様が表具師をしておられたのを知って相談したところ、この修復の仕事を誇りと思っていただき、丁寧な修復と立派な欅製額の制作を全く儲けのない金額でやっていただいた。
 久敬会館で開催された90周年記念行事「母校90年の歩み」で、川端康成のノーベル賞記とメダルを展示するために、第15代山田勝久校長が、鎌倉にお住まいの夫人にお願いに行く際に、落款がなかった前述の額字を持参してもらい、落款を捺していただいた。川端邸で多くの落款が並べられ、「この中からどれでも」と言っていただいたので、その場で選び、目の前で夫人に捺してもらった、と山田校長は辻本に語った。なお、後日、川端夫人はノーベル賞記とメダルを持って鎌倉より来校いただき、ガードマン立会いの下、久敬会館で展示された。

 「以文会友」は『論語』にある言葉で、川端は「文ヲ以テ友ト会ス」と読んでいる。川端は昭和44年10月26日、当時の正門前で行われた「川端文学碑の除幕式」での挨拶の中で、次のように語っている。
《碑文の「以文会友」-これは「論語」にある言葉でありまして、「文」は文学という狭い意味ではなく、まあ、文化一般、あるいは道徳・倫理、あるいは誠の心・美しい心・優しい心―そういうようなものによりまして”友“と会いまして、友人をつくって、つまり人間が結ばれる。結ばれ会うというような意味で、これは非常に広い色々な意味に解釈されると思うのであります。》
 まさに、久敬会に最もふさわしい字句であるといえよう。
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「自彊不息」の額について

2015年04月06日(月)更新
「自彊不息」の額について

120周年記念事業として行っている、久敬会館保管史料の整備の一環として、「大道無門」と「自彊不息」の二つの扁額の修復を平成28年3月に専門の業者に依頼した。
 
修復された「自彊不息」の額
 
高碕達之助(中4)揮毫の「大道無門」については、すでに解説してあるので、「自彊不息」の扁額について説明したい。 「自彊不息(じきょうやまず)」とは『易経』にある言葉で、「易に曰く、天行は健なり、君子は以て自ら彊(つと)めて息(や)まず」、つまり、「天地の運行が健やかであるように、君子も自ら努め励み怠ることはない」という意味である。ここから、「天つ空見よ 日月も星も 其時違へず その道めぐる 我等も各々 力行やまず……」で始まる本校の校歌が生まれたのである。
この文言を取り入れて、多門力蔵教諭が校歌を作詞した経緯については、『茨木高校百年史』で詳しく考証されているので、そこをお読みいただきたい。
ちなみに、旧制中学校や旧制女学校で「自彊不息」を校訓にしているところもあるようで、多門力蔵の前任校である三重県第三中学校(現、三重県立上野高校)の校訓が「自彊不息」であった。また、大阪府立今宮高校同窓会の名称は「自彊会」である。
「創立70周年記念誌」ある、「自彊不息」の額が飾られた図書館

この「自彊不息」の扁額がいつ、どのような経緯で揮毫されたのは不明だが、旧本館にあった図書館に飾られていたことは確かである。昭和30年の創立60周年の記念事業として、旧本館2階に図書館が新設された。この図書館は、老朽化した旧本館の取り壊しによって、昭和47年4月に講堂に移転するまで使用された。その図書館に飾られていたのが「自彊不息」の扁額であり、『創立70周年記念誌』に、図書館で学習している生徒の写真とともに、この「自彊不息」の扁額が写っている。
「自彊不息」の額の署名と印章
改めて扁額を見ると、署名には「寒松叟」とある。「叟」は老人のこと。あるいは自らを謙遜して言う語。2つの印章は「寒松軒」「全慶」と判読できる。
とすれば、揮毫者は、南禅寺の第9代管長で、花園大学や大谷大学で教授を務めたこともある、禅僧の柴山全慶(明治27年~昭和49年)ではないかと推測できた。「寒松軒」は柴山全慶の室号である。
過日、そのことを確かめるために額の写真を持って南禅寺宗務本所を訪れたところ、全慶の書に間違いないとのこと。そして、管長時代なら「寒松叟」の前に「南禅」の2文字をつけるから、この書は管長になる以前(管長就任は昭和34年)に書かれたものだ、とのご教示をいただいた。全慶は久敬会員ではないが、その年齢は茨高の周年と同じだから、30代の書ということになる。
このように揮毫者は判明したが、いつ、どのような経緯で揮毫を依頼したのは、記録がなく、また、当時の教職員もほとんど亡くなられているので、よく分からない。

平成28年4月30日、修復された扁額が届いた。劣化が進み、くすんでいた扁額が、今書かれたばかりのように新たに蘇ったことを喜びたい。
psfuku
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