「自彊不息」の額について
120周年記念事業として行っている、久敬会館保管史料の整備の一環として、「大道無門」と「自彊不息」の二つの扁額の修復を平成28年3月に専門の業者に依頼した。
修復された「自彊不息」の額
高碕達之助(中4)揮毫の「大道無門」については、すでに解説してあるので、「自彊不息」の扁額について説明したい。 「自彊不息(じきょうやまず)」とは『易経』にある言葉で、「易に曰く、天行は健なり、君子は以て自ら彊(つと)めて息(や)まず」、つまり、「天地の運行が健やかであるように、君子も自ら努め励み怠ることはない」という意味である。ここから、「天つ空見よ 日月も星も 其時違へず その道めぐる 我等も各々 力行やまず……」で始まる本校の校歌が生まれたのである。
この文言を取り入れて、多門力蔵教諭が校歌を作詞した経緯については、『茨木高校百年史』で詳しく考証されているので、そこをお読みいただきたい。
ちなみに、旧制中学校や旧制女学校で「自彊不息」を校訓にしているところもあるようで、多門力蔵の前任校である三重県第三中学校(現、三重県立上野高校)の校訓が「自彊不息」であった。また、大阪府立今宮高校同窓会の名称は「自彊会」である。
「創立70周年記念誌」ある、「自彊不息」の額が飾られた図書館
この「自彊不息」の扁額がいつ、どのような経緯で揮毫されたのは不明だが、旧本館にあった図書館に飾られていたことは確かである。昭和30年の創立60周年の記念事業として、旧本館2階に図書館が新設された。この図書館は、老朽化した旧本館の取り壊しによって、昭和47年4月に講堂に移転するまで使用された。その図書館に飾られていたのが「自彊不息」の扁額であり、『創立70周年記念誌』に、図書館で学習している生徒の写真とともに、この「自彊不息」の扁額が写っている。
改めて扁額を見ると、署名には「寒松叟」とある。「叟」は老人のこと。あるいは自らを謙遜して言う語。2つの印章は「寒松軒」「全慶」と判読できる。
とすれば、揮毫者は、南禅寺の第9代管長で、花園大学や大谷大学で教授を務めたこともある、禅僧の柴山全慶(明治27年~昭和49年)ではないかと推測できた。「寒松軒」は柴山全慶の室号である。
過日、そのことを確かめるために額の写真を持って南禅寺宗務本所を訪れたところ、全慶の書に間違いないとのこと。そして、管長時代なら「寒松叟」の前に「南禅」の2文字をつけるから、この書は管長になる以前(管長就任は昭和34年)に書かれたものだ、とのご教示をいただいた。全慶は久敬会員ではないが、その年齢は茨高の周年と同じだから、30代の書ということになる。
このように揮毫者は判明したが、いつ、どのような経緯で揮毫を依頼したのは、記録がなく、また、当時の教職員もほとんど亡くなられているので、よく分からない。
平成28年4月30日、修復された扁額が届いた。劣化が進み、くすんでいた扁額が、今書かれたばかりのように新たに蘇ったことを喜びたい。