第7回は【著名な卒業生(大宅壮一・米沢富美子)】

2016年10月04日(火)更新

 記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」が久敬会館で

 第7回は【著名な卒業生(大宅壮一・米沢富美子)を紹介します

『展示風景』


 

大宅壮一

米沢富美子

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第6回は【著名な卒業生(高碕達之助・川端康成)】

2016年06月07日(火)更新
記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」が久敬会館で

第6回は【著名な卒業生(高碕達之助・川端康成)】を紹介します

1 高碕達之助 2 川端康成
3 高碕と川端
【展示風景】

 

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第5回は【伝統ある行事】

2016年03月22日(火)更新
記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」
第5回は【伝統ある行事】を紹介します

【展示風景】 【解説パネル】

 

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【2】記念展示「資料でつづる茨木高校の120年のあゆみ」

2016年03月09日(水)更新
記念展示「資料でつづる茨木高校の120年のあゆみ」
(学校との共同開催)
日時:会場久敬会館2階会議室 
内容:①母校の120年
    ②旧校舎
    ③伝統ある行事 
    ④著名な卒業生(高碕、川端、大宅、米沢)
    ⑤プールのあゆみ(ロス五輪の入江稔夫氏の銀メダル展示)
 
 学校と久敬会の間で、昨年度から実行委員会が何度か開かれた。この行事は学校との共同開催として行われたが、展示内容については学校の方で企画された。
 学校では校史編纂委員長の吉村先生を中心に、卒業生教員が仕事を分担された。久敬会では卒業生コーナーの分担や、当日の受付警備を担当した。さらに展示に関わる費用を負担した。
 展示期間中、来場者は大変熱心に展示物や説明文に目を向けられ興味深く観察しておられた。期間中、吉村先生による30分~60分の解説が何度か行われ、その時居合わせた方には大変喜ばれた。展示目録が作られ、著名な卒業生のコーナーでは、高碕氏・川端氏・大宅氏・米沢氏の紹介パンフが用意された。また、中46回の小笠房一氏からは「大宅壮一顕彰碑除幕」(平成21年5月30日)のカラーのパンフレットが提供された。
 期間中の来場者は、茨木高校在校生が最も多かったが久敬会員、PTA会員、中学生の入学希望者、一般の方々を含めて1400名であった。
 
  
 
 なお、展示内容は、広報委員会の森本 均副委員長によって、このHPに大変詳しく紹介されているのでご覧いただければと思います。 ↓ 下記のタイトルをクリックして下さい。
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第4回は【思い出の旧校舎】

2016年01月22日(金)更新
記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」
第4回は【思い出の旧校舎】を紹介します
 
【展示風景】 【解説パネル】

 

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第3回は【歴史概観(昭和戦後期・平成期)】

2015年12月09日(水)更新
記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」が久敬会館で
 第3回は【歴史概観(昭和戦後期・平成期)】を紹介します

 
『昭和戦後期』
『平成期』
【展示風景】

 

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第2回 歴史外観(明治・大正・昭和戦前期)

2015年11月16日(月)更新
 記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」
 2回目は【歴史概観(明治・大正・昭和戦前期)】を紹介します。


【展示風景】
『明治期』
『昭和戦前期・大正期』
 

【解説パネル】
『明治期・歴史概観』
『昭和戦前期・大正期』

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第1回「展示風景」と「茨木高校120年年表」

2015年11月10日(火)更新
 記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」が久敬会館で平成27年10月13日~10月24まで開催されました。
 この記念展示を、久敬会ホームページで、数回のシリーズで紹介します。

 第1回は【展示風景】と【茨木高校年表】を紹介します。

 次の01~14の項目をクリックすると大きな画像をご覧になれます。
 また、スライドショーででもご覧になれます。ゆっくりとご覧ください。
  次回は「歴史概観コーナー」の詳細を紹介する予定です。

展示風景
gallery
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記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」

2015年10月14日(水)更新
無事開催終了いたしました。
おって、そのときの模様はホームページへ紹介します。

 
記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」
パネルと秘蔵資料200点以上展示中。
 
10月13日~10月24日(土)開館時間10時~16時30分
久敬会館2Fで開催中です。この機会をお見逃し無く。
 

準備中の久敬会館

【展示概要】
  1. 歴史外観(明治期・大正期・昭和前期・昭和後期・平成期)
  2. 思い出の校舎
  3. 伝統ある行事(体育祭・妙見夜行登山。修学旅行・その他)
  4. 著名な卒業生コーナー
    高碕達之助(中4回)、川端康成(中18回)、大宅壮一(中21回)、米沢富美子(高9回)
  5. プールと水泳(入江稔夫(中30回)オリンピック銀メダルほか)
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【2】記念展示「資料でつづる茨木高校120年の歩み」のご案内/「創立120周年」記念行事

2015年09月03日(木)更新
(本記念展示は学校との共同開催です。)

2015年10月13日(火) ~ 24日(土) 会場:久敬会館2F会議室
開館時間10時~16時30分  
 (申し込み不要、直接お越しください。)
展示内容】
100周年の時に整理された校内史料をもとに、この度の120周年に際して、次のようなテーマごと
に展示が行われる。
①母校の120年  
②旧校舎  
③プールの歩み(入江稔夫氏1932年ロス五輪の銀メダル展示)
④伝統ある行事  
⑤著名な卒業生(高碕達之助、川端康成、大宅壮一、米沢富美子)

記念展示は、
90周年では、ほぼ今回と同様な形で「母校90年の歩み展」が久敬会館で行われた。この時は川端のノーベル文学賞メダルと表彰状、生物学の桑田義備の1960年文化勲章、入江の銀メダルが展示された。
100周年では、写真で綴る「茨木高校100年の歩み」展が茨木市立川端康成文学館で開催された。
110周年では、記念展示は行われていない。
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「質実剛健」の額

2015年08月03日(月)更新
「質実剛健」の額
 
 
“母校創立120周年を迎えて”、貴重な資料を紹介します!
~ 第3弾 
 
 久敬会館会議室に「質実剛健」の額が飾られている。揮毫者は幣原坦(しではら・たいら)だが、今やその名を知る人はほとんどいないだろう。
 幣原坦は、幣原喜重郎の兄である。久敬会員ではない。

 幣原喜重郎は大正末期から昭和初期にかけて、外務大臣として平和外交を推進し、国際協調路線を唱えたが、軍部から「軟弱外交」と批判を受け、辞任に追い込まれた。幣原喜重郎が表舞台に返り咲くのは、終戦直後の昭和20年。昭和天皇の命を受けて首相に就任し、GHQの占領政策の下で憲法草案の作成に取り組んだ。

 幣原坦は政治家ではなく、東京帝国大学教授、広島高等師範学校長を経て、昭和3年に台北帝国大学総長となった歴史学者。晩年は生まれ故郷の門真市で過ごし、昭和28年6月、84歳で亡くなっている(『門真市史』第六巻による)。

 久敬会館に飾られている、この「質実剛健」の額が、いつ、どのような縁で揮毫されたのかはよく分からない。辻本昭信(高16)が事務局長時代に、この額の表装を新たにする時に、当時の会長であった森脇茂(中36)に聞いたところでは、講堂の一方の側にあった「勤倹力行」の額と対になるように書いてもらった、という。卒業生である森脇茂は、昭和23年4月から昭和53年3月まで母校の茨木高校の国語科教員として勤めている。ただ残念なことに、いつ書いてもらったのか、という肝心な点の話がその時になされていない。

 『創立90周年記念誌』を見ると、昭和10年11月に行われた新校舎落成式の講堂の写真が掲載されているが、辻本が森脇から聞いた、その回想を裏付けるように、そこには向かって左に「勤倹力行」の額しか写っていない。そして同じく『創立90周年記念誌』にある、昭和30年10月に挙行された創立60周年記念式での講堂写真には、対になるように、向かって右に「質実剛健」の額が飾られているのがはっきりと写っている。

 幣原坦が亡くなるのは、先に記したように昭和28年のことだから、この額が揮毫されたのは、昭和10年から昭和28年の間ということになる。もう少し期間を絞るために推測してみると、坦が枢密顧問官を辞したのが昭和22年5月で、その後郷里の門真に帰っているので、この額もその頃に書かれたのかもしれない。
『茨木高校百年史』にも記述がなく、また戦前の「会報」は昭和18年が最後で、「久敬会報」の復刊第1号が刊行される昭和28年まで会報の空白期間があるので、詳細は不明である。
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「大道無門」の額

2015年04月07日(火)更新
 
“母校創立120周年を迎えて”、貴重な資料を紹介します!
 
 久敬会館会議室に高碕達之助(中4)揮毫の「大道無門」の額が飾られている。昭和30年に本校の卒業生として初めて国務大臣に就任したのが高碕達之助である。その慶賀の年にちょうど本校も創立60周年という記念すべき節目を迎えたので、昭和30年1月27日に高碕の記念講演会が行われた。高碕は茨中時代の思い出、現下の日本情勢、そして野口英世博士の母堂の手紙をもとに青少年の将来の指針を示し、会場の在校生やPTA、久敬会員有志に多大の感銘を与えた。

 昭和30年2月発行の「久敬会報 第3号」の記事には、この「大道無門」が記念講演会当日に揮毫された、との記述があるが、額には「乙未中秋」とあるから季節が合わない。ちなみに「乙未(きのとひつじ)」は昭和30年の干支である。これは、あるいは、10月20日の60周年記念式典の時に揮毫されたのかもしれず、それなら季節は合うが、詳細は不明である。

 なお、校長室にも同じ額(それにも「乙未中秋」と書かれている)がある。
「大道無門」とは、『無門関』にある、何ものにも縛られず制約も受けない、絶対自由の境地を意味する禅語である。
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