(アーカイブ)

久敬俳句会

2013年05月14日(火)更新
久敬俳句会が発足して十年が経った。旧制中学、新制高校の卒業生20余名が月一回第四木曜日午後二時から久敬会館に集まり俳句会を開いている。特に指導者はなく、気楽に厳しく研鑽を積んでいる。初めて俳句を作る人から俳歴60年の人が入りまじっている。俳句結社に所属して活躍している人も多い。久敬俳句会誕生のきっかけは、平成13年10月の久敬会総会の挨拶で高校生のときに覚えた俳句を今もやっているという話をした。そのあと小田弘子さん、生澤栄子さんがやってきて俳句の話になり、久敬会で同好会をつのって俳句会をやろうという話になった。
その年の12月27日(木)に第一回の久敬会俳句会を久敬会館を借りて行った。集まったのは塩川滋也(旧中45)鈴木泰平(旧中47)富士稔、谷垣光男、塩川雄三(高2)北川均(高5)佐々木国広、小田弘子(高9)生澤栄子、中角憲子(高17)の10名であっ
た。それから十年間一度も休まずに続いている。私が俳句を始めたきっかけは、高校2年のときに文芸部にはいって詩や小説を書いてガリバン刷りの小冊子をだして楽しんでいたときに文芸部顧問の津本誠一郎先生に俳句をやってみないかと誘われて、先生が所属されていた馬酔木、南風会の門を叩いたのがはじまりで、その後ぼちぼちと「雨月」の大橋櫻坡子、「諷詠」の後藤夜半、「七曜」の橋本多佳子、「天狼」山口誓子に師事し、誓子没後平成6年に俳誌「築港」を創刊主宰している。俳句を六十数年続けてこれたのは津本先生のおかげだと今でも感謝している。
代表世話人は私がやっていて、世話人小田弘子さん、事務局は生澤栄子さんがやっている。これから俳句でもやってみようと考えている人は気楽に言葉をおかけ下さい。ひやかしでも見学でも結構です。
 
十周年記念句集を作りました。その中の一部をご紹介します。
 
『万緑の山鎮め山動かざる』小林喜治(中46回)
『もう傘寿まだまだ傘寿蝉の殻』塩川雄三(高2回)
 
以上(高2回 塩川雄三 記)
 
例会
 ・毎月第4木曜日 ・午後2時締切 ・七句出句(雑詠)
 ・久敬会館2階会議室

吟行会
・年1~2回茨木高校ゆかりの地・人を訪ねる
 
※当日の飛入り参加大歓迎!!
post by psfuku | コメント(0)

高62回 二十歳の会

2013年05月14日(火)更新
 

昨年の夏から準備を始め、首を長くして待っていた1月4日。
小雪のちらつく中、開会時刻になると同時に、久敬会館に懐かしい顔が続々と集まってきた。卒業式以来の再会となる人も多く、見違えるような変身ぶりに驚いたり、変わらない姿に安堵したりと、開会前から盛り上がっていた。大友会長にご挨拶いただき、乾杯の音頭が取られるとすぐ、あちらこちらで歓談の輪が広がった。思い出話に花を咲かせたり、近況を報告し合ったりと、話題は尽きることがない。不思議なもので、どれだけ長く会っていなくても、話し始めるとすぐに高校時代の感覚が蘇ってくる。そして、友人の話を聞くほどに、茨高生の潜在能力の高さに驚く。高校時代から引き続いて何かに取り組んでいる人、新しいフィールドで活躍する人、それぞれの進路は本当に様々だ。けれど、どの人にもその芯の部分には今もしっかりと“茨高生らしさ”が残っている。体育祭をはじめとするたくさんの行事や、日々の学校生活の中で身につけたものは、これからもきっと私達の核となっていくのだろう。それを大切にしながら、またそれぞれの場所で頑張っていこうと、決意を新たにした二十歳の会であった。

(谷村侑子 記)
post by psfuku | コメント(0)

2012年9月発行 久敬会報-第66号-

2013年05月10日(金)更新
 

 2012年9月発行 久敬会報-第66号-
  PDFで閲覧(4,461KB)

 ※PDFでは全24ページの内
   1~14ページまでを公開しています。













 
post by psfuku | コメント(0)

東京久敬会 第11回総会のご案内

2013年05月10日(金)更新
平成25年5 月吉日
『東京久敬会の絆を広げよう』
東京久敬会長 中田一男

 拝啓 会員の皆様にはご健勝のこととお喜び申し上げます。

 さて東京久敬会第11回総会を下記の通り開催致します。多くの方のご参加をお待ちしています。

 メルアドや住所が不十分で案内状が届かない方もおられます。

 お友達とお誘い合わせの上多数ご参加下さいますようお願い申し上げます。
 

日 時 平成25年(2013年)6月15日(土)12時30分~15時
会 場 品川プリンスホテル メインタワー宴会場 12階「シルバー12」
東京都港区高輪4-10-30 電話:03-3440-1111
内容 (1)会務報告等及び懇親会
(2)会費:8千円 (学生割引3千円)
出欠連絡 お手数ですが5月31日(金)までにメールにてご返信下さい。
第11回 総会出欠連絡票
会費振込 6月7日(金)までに会費振込をお願いします
三菱東京UFJ銀行 「店番号:港南台307 口座番号:0439209」
口座名:東京久敬会 会計 藤本英和
*お名前の後に年次をご記入下さい(例:イイダコウゾウ コウ21)
当日支払 会費振込が困難な方は会場でのお支払いをお受けします。


キャンセルの場合は必ず6月14日(金)までに下記連絡先へご連絡下さい。
<お願い>出席連絡の後、無断で欠席された方には会費支払をお願いします。

この度、東京久敬会専用のホームページを新設しました。今後、総会に関する情報も掲載していきますので、是非ご覧下さい
http://space.geocities.jp/kyuukeitokyo/index.html

連絡先:東京久敬会・事務局長(高21)飯田耕造
電話番号:03-6833-1400
株式会社日本総合研究所日社長室付
Eメール:iida.kozo☆jri.co.jp
☆をアットマークに変更してください

以上
 
【東京久敬会からのお願い】
 東京久敬会では各年次で役員(常任幹事又は幹事)を選んで戴き、適宣、連絡・相談をしながら同窓会活動を進めています。現時点、卒業回で、高校02、34、37、43、45、46、49、51、53、55、57、59~回の各年次では、役員が不在となつておりこのままでは連絡が取れません。これらの年次からも是非役員派遣をお願いしたいと思います。当該年次の同窓会幹事の方、又は学年同窓会や同窓会幹事で選出した方を飯田耕造(iida.kozo☆jri.co.jp)までご連絡をお願いします。
post by psfuku | コメント(0)

2012年度行事実施報告

2013年05月10日(金)更新

(1)学校のプールを久敬会員に開放

日時 2012年9月9日(日)1時30分~4時

(2)久敬会ミニ講演会1 「私の海外ボランティア」

日時 2012年10月8日(日)2時から4時
場所 久敬会館
講師 井田誠夫氏
1942年生れ。茨木高校旧職員(理科担当)。
2003年~2011年にかけて、JICAシニア・ボランティアとして、3カ国で理科(おもに実験教育)の指導を行う。

(3)ハイキング「隠れキリシタンの里・竜王山」

日時 2012年11月17日(土)少雨決行

(4)久敬会ミニ講演会2 「世界の巡礼路を歩く」

日時 2012年12月1日(土)2時から4時
場所 久敬会館
講師 問屋正勝氏(高16回)
日立製作所勤務、米国日立テレコム社(社長)等を歴任して2006年退職、その後スペイン語通訳をしながらサンティアゴ巡礼を始める。共著「聖地サンティアゴ巡礼」

post by psfuku | コメント(0)

2012年度「久敬会総会」報告

2013年05月09日(木)更新
 久敬会の組織改編、会則の改定により12年度より総会が毎年開催されることとなりました。今年度の総会については急なことでもあり、今回は従来のように各期の協力を依頼せず、行事委員会が主となって企画・運営を行いました。
 
  • 日時 10月28日(日)3時より5時30分
  • 会場 茨木市役所南館9F スカイレストラン
  • 会費 2,000円
  • 次第
会長挨拶、校長挨拶、会務報告
ミニ講演「茨高の大先輩高碕達之助の人と業績」
 講師 吉原晶子氏(旧姓鳥居 高40回 高槻市立中央図書館司書)
 ⇒講演資料(PDF:291KB)
懇親会 途中にスピーチ
 

 朝から雨模様で心配しましたが、準備が始まる昼過ぎから雨脚が衰え、会が始まる頃には雨はやんでいました。当日は、母校で文化祭が開催されていて、見学された方もあり、2時半過ぎから続々と人が集まり、3時から総勢126名の総会が始まりました。会に先立ち、茨木市の施設をお借りしたということもあり、高15回卒で茨木市長である木本保平氏のご挨拶をいただきました。総会は、例年通り黙祷、開会のことば、会長挨拶とすすみ、今年度8月に新しく茨木高校校長として赴任された高30回卒の岡崎先生のご挨拶もいただきました。会務報告では、久敬会の組織改編の概略が述べられ、新事務局長からの挨拶もありました。

 続いて、第二部のミニ講演。「茨高の大先輩高碕達之助の人と業績」と題して、吉原氏のお話がありました。様々な文献を通じて、大先輩高碕氏の業績とお人柄が紹介され、終了後にはたくさんの方々から感想のことばが寄せられました。吉原氏は「このような機会を与えていただいたことを深く感謝するとともに、また新しい情報の収集にも努めたい。」と述べておられました。

 第三部の懇親会は、東京久敬会会長の中田氏のお話と乾杯で幕を開けました。約30名の現役茨高生の東京訪問時に、東京久敬会が受け入れたお話を披露され、心強い先輩のお手本を示されました。宴の途中、今年100歳になられた石高治夫氏(中32回久敬会顧問)の元気なスピーチがありました。そのかくしゃくとしたお姿に会場は騒然となりました。石高氏は、高碕達之助に直接声をかけられて東洋製罐に採用され、以後30年以上にわたって勤めあげられたこと、さらに18回訪中され周恩来首相と直接話をされ、「水を飲む時は、井戸を掘った人を忘れず」や「小異を捨てて大同につく」の言葉をかけられたことなどを話されました。その他、大木令司前会長や元校長の橋敏昭先生からもスピーチがありました。橋先生は「久敬会は自分の母校の同窓会のように親しくさせてもらって毎回出席している」とお話されました。宴会中は、卒回を超えた交流が会場内のあちらこちらで見られ、時間はまたたく間に過ぎて、恒例の校歌斉唱へ。無事に5時半に閉会となりました。それぞれ満足のうちに名残惜しく会場を後にしました。

gallery


post by psfuku | コメント(0)

プール開放 2012年9月9日(日)

2013年05月09日(木)更新
 朝晩は秋の気配を感じるようになりましたが、この日の最高気温は33度。午後1時前から役員や水泳部OBなどの協力者がプール入口に受付を設け、またプールサイドの本部テーブルにお茶とお菓子を置いて準備完了。開場の1時半を待ちました。来場された方には順次自由に泳いでもらい、2時にはプールサイドに集まってもらって開会式。参加者は役員、協力者さらに見学者を入れ最終的には総勢27名。大友会長の挨拶。懐かしい旧プールの話から始まってこのプールができるまでの歴史を話されました。水泳部顧問の木場先生(高42回)からもこのプールの説明をしてもらいました。「授業は横25メートルのコースを使用して2~3クラスが同時に行う。」「水泳部はOB会が買ってくれた水面を覆う保温用ビニールシートを使って11月まで練習する。」参加者の声として「1人で1コースを独占して十分満足して泳げた。」「50メートルのコースを泳げなかったのは残念。」「昔取った杵柄で会長の泳ぎぶりは見事だった。」「また来年もこの行事をやってほしい。」見学の人からも「電車から見ているだけだったが、中に入り大きな立派なプールで感心した。」などの感想が寄せられた。4時になり、それまでずっと長時間泳いでいた人もおられたが、時間通りに終了した。この行事に協力していただいた木場先生と水泳部OBの大学生4人には厚くお礼申します。
gallery
post by psfuku | コメント(0)
(2013年6月27日修正)

日 時  2012年10月8日(月) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  井田 誠夫氏(茨高旧職員)
参加者  23名

講演内容
 初めに予定されていた9月30日は、台風の影響で警報が出ていたため、1週間延期されました。それでも参加を申し込まれていた人は、ほぼ全員の方がお越しいただきました。
講師の井田先生は茨高の旧職員(理科担当)で山岳部の顧問をされていたということで、当時の山岳部のメンバーから花束の贈呈がありました。講演の内容を以下に略記します。
 定年後6年間、パプア・ニューギニア、ホンジュラス、ラオスでボランティアとして大学や公立・私立学校、子ども博物館の理科教育に携わる中で、“発展途上国”における教育の困難さを実感した。
 最初に行ったパプア・ニューギニアでは、いまだに太平洋戦争の傷跡があちこちに残っており、人々は戦争のことを今も忘れてはいなかった。治安もあまりよくはなく、私はボランティアとして何をしたらいいのか?という思いに駆られ、なんだか空回りをしていた2年間ではなかったか?という気持ちにもなった。日本の援助でできた図書館はあっても本はなく、また毎日モデル授業を指導し、衛星を使うTV放送を作成して放映しましたが、教師自身の学力不足や放送受信の問題等、有効な活用は難しいようだった。

 次に行ったホンジュラスは、一部の富裕層と大部分の貧困層からなり小学校を終えるのは6割程度である。公立学校へ通う生徒は、家庭環境も悪く貧しい生活を強いられている。一方で私立学校は割合レベルが高い所が多かった。学校の先生はできることは何でも見つけてやっていこうという姿勢が感じられ、そういう意味ではやりがいのある環境であった。国民性は喜怒哀楽の表し方が素直で、「アスタマニアーナ」「また明日やろうよ」という世界で、人々は家族や友人、今日を生きることを大切にしている。
最後にラオスに滞在した。ラオスは内戦終結と共に、1975年社会主義国として独立した。しかしその後、教育にはあまり力を入れてこなかったようで、そのため先生自身も理解できていないことが多く、生徒にとってはより一層わからないことが多い。国立ラオス大学を卒業して教員になっても、教員だけでは生活できないという状況がある。また外国の援助による理科実験器具はあっても、使い方がわからず、新品の顕微鏡が13年間封を切らずに放置されていたり、そしてここでも教師の学力の低さには驚いた。
また内戦が続いたため、小中学校の教育を満足に受けられなかった人も多く、いかに基礎学習が大切かということを知らされた。日本からもJICAを通じて援助がなされている。これからも、特に医療や教育についての先進国からの援助が必要で、ラオスの国民全体の基礎学力を上げる必要が感じられた。
いろんな国でのボランティア活動を通じて、翻って考えるに、日本の教育は果たして先進国といえるのだろうか?今後の理科教育のありかたを考えるきっかけともなった。

[続きを読む]
post by psfuku | コメント(0)

 天気予報が当たり、全国的に雨天になった11月17日(土)、朝8時30分過ぎになると阪急茨木バス停2番乗り場には、ハイキングの格好をして傘を差した中高年の男女が姿を見せ始め、55分発の忍頂寺行きに乗車した人は13名になった。「前日19時前のNHKの気象予報で17日午前中の降水確率が50%以上の場合は中止」としながらも、その場合でも「キリシタン史料館見学は可」であり、「当日の状況によっては希望者のみで短縮コースも検討する」と、参加予定者には事前にアナウンスされていたため「雨ニモ負ケズ」メンバーが集まった。
 一行は千提寺口バス停から15分程歩いて「キリシタン遺物史料館」に到着、学芸員2名の出迎えを受けた後、「キリシタンの伝来と茨木」「隠れキリシタンと遺物発見秘話」等のビデオを鑑賞した。晴天であればダイジェスト版の予定であったが、この日は40分近くフルで見ることになった。遺物発見の最大の功労者である藤波大超氏(中18回)のユーモラスな解説・説明の場面では、思わず笑い声が起こっていた。
 かなりの雨になってきたが、11名はビデオの中でも紹介されていた「キリシタン自然歩道」を歩くことを選択、「竜王山荘」へと向かった。約30分で到着、貸切り状態の中、注文した食事が出てくるまでの間を利用して全員が自己紹介、和やかな雰囲気に包まれた。雨脚は一層激しくなってきており、竜王山頂への登山は無理であろうと誰もが得心できる状況になっていたため、その場でゆっくり寛ぎ記念写真を撮った後、1時40分のバスに全員乗り込んで帰路についた。海外の山の経験者から健康目的で参加したという人まで様々で、「また機会があれば」という雰囲気の中での散会となった。
gallery
 

[続きを読む]
post by psfuku | コメント(0)


日 時  2012年12月1日(土) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  問屋 正勝氏(高16回)
参加者  39名

講演内容
 定年退職を5年後に控えたある日、スペインに巡礼路があることを知りました。スペインの西北端にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して毎年世界中の国々から何十万人もの人たちが歩きに来るのです。退職までの5年間、すっかり錆びついた体に鞭打って、体力づくりに励み、スペイン語の勉強に力を入れました。
 そして、定年退職後、2007年から毎年スペインへ出かけて、スペインやポルトガルに広がる800kmから1000kmの巡礼路を歩くようになりました。歩いているといろいろな国の人たちに出会います。皆サンティエゴを目指して歩くいわば巡礼の同志です。その中には学校の先生、医師、看護師といった人たちも多くいました。巡礼路はロマネスク美術の宝庫と言われ、11世紀頃からの教会建築や美しい街並みが醸し出す雰囲気に浸るのは巡礼中の楽しみのひとつです。また麦畑の緑、黄色いひまわり、赤いアマポーラや紫色のラベンダーの花の群生地の美しさは今も思い出されます。そしてひと月歩いた後、初めて聖地サンティアゴに到着したときの感動は今も忘れられません。
 巡礼路では最初はやはり筋肉とかマメの「痛み」しかありません。しかし続けていると、喜びに変わっていくことを実感できます。
 歩き終わった後には、毎年、巡礼宿で2か月間、ボランティアをしています。巡礼路を歩くのもよい経験ですが、、土地の人たちと一緒になって巡礼者を受け入れてお世話をすることは、それ以上に良い経験です。巡礼宿の仕事は、部屋やトイレの掃除、食事の準備や後片付け、宿泊する人のマメの手入れや健康管理の手伝い、巡礼路の案内、宿帳と宿泊料の管理などいろいろですが、巡礼宿のトイレの掃除は特別な体験で、人生観がかわった感じがします。
 滞在中にこれまで10回くらい医療通訳をしました。巡礼中に体調を壊し、巡礼宿数日間寝込む人のお世話をしたこともあります。異国に来て言葉がわからない状態で不安でどうしようもない、そんな時、「いかがですか?」と声をかけてあげるだけで、翌日「ご親切は一生忘れません」と丁重なお礼を言われたこともありました。
 巡礼路上にある人口    400人のモリナセカ村は、私が毎年ボランティアをしている巡礼宿がある村です。偶然のきっかけから、私がコーディネーターとなって四国お遍路の町がモリナセカ村と交流を始めました。2010年にはモリナセカ村の村長一行が四国を訪問し、各地で大歓迎を受けました。
 スペインの巡礼路を歩くと決めて10年の歳月が過ぎました。これが10年前に望んでいたことなのか、これからどこへ行こうとしているのか、自問自答は続くと思います。
 

[続きを読む]
post by psfuku | コメント(0)

110周年記念写真集

2013年05月09日(木)更新

110年に渉る記録写真に刻まれた学舎と人。


この写真集「学校The Story of Our School」 は第四尋常中学ー茨木中学-三島野高校-茨木高校の110年に渉る歴史を校舎、生徒、教師を撮影した記録写真で構成しています。1995年平成7年に久敬会より発行した記念誌「天つ空見よ」を母体に、さらに、紹介されていない写真、また、新たに撮影した現在の新校舎の姿を加えてご覧いただく事ができる様に編集しました。100周年記念誌「天つ空見よ」の記事と合わせてご覧いただければ、より詳しくその時々の姿を確認していただけると思います。
開校以来現在に至るまでの校舎(木造校舎、旧校舎、現校舎)の変遷に合わせて構成した懐かしさを感じられる写真集です。


post by psfuku | コメント(0)
このページのトップへ