開会迄の1年半に幹事14人が集まること5度、担当別に2度。なるだけ多くへの周知と充実の会を願ってアイデアを絞り、前年夏に開催予告を出す・一次会は卒業時二次会は入学時のクラス毎に着席・高校時代の写真を集め映像として会場に流す、などを決めた。中心となったのが元ホテルマンの長屋隆さんで、さすが配慮がきめ細かいと、出席者から賛嘆の声が引きも切らなかった。東京から皆勤し緻密なプランやデータ収集で脇を固めた安岡伸之さんなど、幹事一丸の努力が実を結んだと言える。
第20回「東京うだつ会」(第46回[昭和20年]卒、首都圏在住者同窓会)を、昨年と同じ霞ヶ関ビル35階、東海大学校友会の一室で行った。
19名中10名が入院、急病、家庭療養中、遠距離などで欠席の回答だったが、大阪から鈴木君が駆けつけてくれ、昨年と同数の10人が元気な姿で参集した。
例により、西田君の開会の挨拶、続いて長谷川君の時事講演、乾杯に始まり、12時~ 14時の予定を超過して和気藹々の間に、来年の再会を期してお開きとなった。
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写真は左から上田、佐藤、西田、清水、下田、鈴木、長谷川、山上、内山、彦坂(敬称略)
(山上 記)
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平成25年10月14日(月:祝)11時30分より、高19回の第5回学年同窓会が新大阪ワシントンホテルプラザで開催されました。前回の還暦同窓会から5年振りの再会で、私たちも65歳に達しました。参加者は同級生が147名、恩師の先生としては4名(水谷勝先生、牧村俊男先生、鵜飼壮一郎先生、酒井義人先生)の方々をお迎えし、合計151名の多くのメンバーが出席となり、盛大に行われました。
最初に亡くなられた担任の宮下順三先生、福留照尚先生、安田喜一先生、石川ヒサエ先生に、同期生で亡くなった26名の方々に対して、全員で黙とうを捧げ、ご冥福を祈りました。
その後、恩師の先生方のお言葉を頂いた開宴後は、20余りのテーブルに分かれて、お互いに喧騒の極みのように爆笑や積もる話の渦に花が咲きました。3年生、2年生1年生のクラスに時間を区切って席替えをしたのも3倍以上の懐かしい再会でした。集合写真 閲覧用PDF 3.6MB
とりわけ、2年生、1年生の席替えでは、高校卒業後、初めて再会できた方が数名もおられ、クラス集合写真も良い記念となりました。ご自分の2年生、1年生クラスの記憶がない方にとって、今回代表幹事の岡本巧君が作成してくれた1年、2年、3年時の同期生全員の名簿をコピーして配布してくれ、移動も楽でした。
2013年1月3日(木)に久敬会館で、高31回の同窓会を開催致しました。
朝10時から夜8時まで、いつ来ても帰ってもいいフリータイム制。
世話人からの連絡は10年前のメールアドレスと掲示板。出欠の回答は不要で、同級生に転送して下さいと依頼しました。
開始直後は数名程度が寄り添うような状態でしたが、12時過ぎには40名、夕方5時には写真のように最高潮に達しました。卒業生は117名で担任は奥田、甲部、永井、仲西、福嶋、森田の各先生にお越し頂きました。
変貌著しい参加者もあり、全員に当時の名前と1~3年のクラスを名札に書いて貰いました。
誰かが持ってきたアルバムに昔話が弾んだり、先生を車座に囲んで消息を報告しあったり、校内を散策して記憶を辿ったり、3年だけでなく2年や1年のクラスで記念撮影したりしていると、瞬く間に時が過ぎ、次は4年ほど後か、いやいや還暦かとお互い勝手な再会を期して散会しました。
幹事を決めずに準備を始めましたが、連絡係や受付に手を挙げる人、葉書まで出す人、当日早くから手伝う人、両手一杯の差し入れをする人、ふらりと現れる人、自転車で颯爽と買い出しに行く人、炊事場と会場を行き来する人、最後まで残って片付けする人、そんな人たちの、あの頃より少し音程が低くなったわーんという喧噪。いい同窓会でした。
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