高19回 【改訂版】新大阪ワシントンホテルプラザに151名が集結!

2014年04月18日(金)更新
~ 高19回学年同窓会が10月14日に開催される ~
(集合写真4点追加しました 末尾参照)


平成25年10月14日(月:祝)11時30分より、高19回の第5回学年同窓会が新大阪ワシントンホテルプラザで開催されました。前回の還暦同窓会から5年振りの再会で、私たちも65歳に達しました。参加者は同級生が147名、恩師の先生としては4名(水谷勝先生、牧村利男先生、鵜飼壮一郎先生、酒井義人先生)の方々をお迎えし、合計151名の多くのメンバーが出席となり、盛大に行われました。

最初に亡くなられた担任の宮下順三先生、福留照尚先生、安田喜一先生、石川ヒサエ先生に、同期生で亡くなった26名の方々に対して、全員で黙とうを捧げ、ご冥福を祈りました。

その後、恩師の先生方のお言葉を頂いた開宴後は、20余りのテーブルに分かれて、お互いに喧騒の極みのように爆笑や積もる話の渦に花が咲きました。3年生、2年生1年生のクラスに時間を区切って席替えをしたのも3倍以上の懐かしい再会でした。集合写真 閲覧用PDF 3.6MB

とりわけ、2年生、1年生の席替えでは、高校卒業後、初めて再会できた方が数名もおられ、クラス集合写真も良い記念となりました。ご自分の2年生、1年生クラスの記憶がない方にとって、今回代表幹事の岡本巧君が作成してくれた1年、2年、3年時の同期生全員の名簿をコピーして配布してくれ、移動も楽でした。


さらに、出席者及び欠席者全員の返信ハガキや返信メールの縮小コピーも小冊子風に纏めて配布され、この無償の行為には私自身、只々、脱帽の思いでした!!。

最後に、3年生のクラスの席に戻って、次期幹事、そして、代表幹事を決めました。次回の学年同窓会は、“ 卒業50年 ”という記念の年となる3年後に開催することに決まりました。私たちが68歳となる年です。

そして、本当の最後に、校歌「天つ空見よ」に続いて、リクエストを受けて、思い出深い「高校3年生」を全員で大合唱することで、予定の3時間が瞬時に過ぎてしまい次回の再会を期して、お開きとなりました。

(高19回  井上 昇 記)

写真あります

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158名の仲間が参加した高43回学年同窓会

2014年02月28日(金)更新
158名の仲間が参加した高43回学年同窓会
~平成26年1月3日(金)に開催~

平成26年1月3日(金)、大阪梅田の新阪急ホテルにて、高43回卒業生の卒業以来2回目となる学年同窓会を開催しました。
関西を離れている人達が参加しやすいように、正月休みに設定し、卒業生への連絡には同窓会幹事代行会社を活用したのに加え、SNSでの呼びかけも行いました。
 

当日は、東京山手線付近の火事により東海道新幹線が長時間にわたって止まった影響で8人の方が出席できなかったのは残念でしたが、計158名の卒業生に加え、中井先生、穐山先生、田中先生、杉本先生の4名の恩師にもご参加いただき、盛大な同窓会となりました。
皆、久しぶりの再会を、昔話や近況についての会話で楽しみ、あっという間の2時間でした。
その後の二次会にも100名以上の方が参加して盛り上がり、三次会、四次会を楽しんだグループもいました。後日、「楽しかった。同窓会を開催してくれてありがとう」という言葉を多くの出席者からいただきました。

幹事一同開催して良かったと喜んでいます。田中先生に当日撮影していただいた200枚以上の写真をSNSで共有していますので、同窓会に参加した人も、参加できなかった人も興味がある人は肥田または高松までご連絡ください。
この同窓会を機に、同級生の輪がますます広がり、様々な交流が始まることと、次回の学年同窓会を東京オリンピックの開催される2020年に開催するときには、更に多くの同級生や恩師に参加いただけることを期待しています。

(幹事 高松傑)
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“茨中:水泳部”の連載記事が1月29日(水)で完結!

2014年02月03日(月)更新
 
“茨中:水泳部”の連載記事が1月29日(水)で完結!
~ 1月20日(月)から毎日新聞夕刊にて8回にわたって掲載 ~
 
既にこのホームページで紹介しておりました“茨木中学:水泳部”の連載記事が1月20日より毎日新聞夕刊のトップページで始まり、1月29日(水)で終了しました。
 
「ターザンの影」のタイトルで見出しに第1回は“旧茨木中プールサイドに残る謎”と“五輪王者が来た”の2つがあり、興味を持たせる表現でした。
第2回目(21日)の見出しは“無邪気なヒーローに沸いた”。
第3回目(22日)は“クロール完成 好敵手現る”が見出し。
第4回目(24日)には“身長差20センチ カツ丼の執念”の文字が。
第5回目(25日)では“川端が 大宅が 土にまみれた”の表現に。
第6回目(27日)は“先見の師 世界へ道開く”の見出しに。
第7回目(28日)には“初の世界記録ともう1枚の写真”の文字が。
第8回目(29日)では“謎が解け 伝説が残った”の表現で完結となる。
 
毎回、わくわくさせられ、次がどのようになるかを期待させた内容でした。結果として、“謎が解け 伝説が残った”となりましたが、茨木中学、高校卒業生となる久敬会員には楽しく、興味深かった10日間でした。
 
そして、久敬会員より、全8回を読まれた感想が久敬会のメールに届けられました。非常に分かり易く纏められた内容ですので、そのまま、以下転載致します。ご一読頂き、我ら“ 茨木中学 水泳部の凄さ ”を再認識ければと存じます。
 
(注)
今回の連載は関西版だけの掲載となった為、関東を始め、関西以外の方々には新聞紙面ではお読み頂けませんでした。しかしながら、毎日新聞のホームページに会員登録(無料・パスワード要)し、“ターザン”で検索しますと、全8回分を読むことができます。一度チャレンジ下さい。尚、久敬会には全8回分の記事を保管しておりますので久敬会館にお越し頂ければ、閲覧できるようにしております。




(2014年2月3日 記)
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改めて知った茨中プールの栄光の歴史

2014年02月03日(月)更新
改めて知った茨中プールの栄光の歴史
~毎日新聞夕刊連載「ターザンの影」を読んで~
(全8回を読んでの感想です)

 
1月20日(月)から「毎日新聞」夕刊に連載されていた、「ターザンの影」(サブタイトル「茨木水泳団秘史」)が1月29日(水)で完結しました。
最終回を読み終えて、深い感慨に浸るとともに、もっともっとこの物語が続いてほしかった、という我儘な感想を抱いています。
私はこの連載を読むため、毎日駅の売店に出向き、新聞を購入しました。夕刊はコンビニでは販売していないからです。そして、新聞を手にすると、毎回わくわくしながら、読みふけり、そして、次回はどう展開するのだろう、と翌日の販売が待ち遠しくて仕方がありませんでした。さすが敏腕記者の筆です。読者の興味をぐいぐいと引きつけます。
 
物語は茨高の『創立90周年記念誌』に掲載された、1枚の写真の謎を追う、というところから始まりました。その写真には水泳の元オリンピックチャンピオンで、引退後はターザン役としてハリウッドのスターになったワイズミュラーと、高石勝男(中25)氏が写っています。高石氏は茨中でクロールを完成し、ワイズミュラーのライバルとなった水泳選手です。
90周年記念誌の座談会では、昭和15年にワイズミュラーが茨中に来校した時に写した、という回想談がありますが、記者はそれに疑問を抱きます。昭和15年は太平洋戦争開戦の前の年だから、米国選手の来日はあり得ない話だろう。とすれば、この写真は、いつ、どこで撮影されたものなのか? と。
その探索の物語の中で、高石氏はもちろん、茨中でクロールを初めて習得した入谷唯一郎(中25)氏や、茨中在学時代に日本人で初めて世界記録を樹立した入江稔夫(中30)氏も登場します。そして、日本初の学校プールを建設するのに尽力した杉本傳先生の功績、さらには、プールを掘った川端康成と大宅壮一のことも描かれます。
そうした記述を重ねた最終回で、写真の謎が解き明かされるのです。それについては、ここでは触れません。読んでのお楽しみです。
 
体育の授業で、あの緑色に濁った50メートルのプールで泳ぎ、10メートルの飛び込み台からこわごわ飛び込んだ卒業生の私としては、ワイズミュラーと「意外なつながりと友情」を結んだ高石勝男氏や、「卓越した発想と実行力」を持っていた杉本傳先生のことをもっと詳しく掘り下げてほしかった、というのが読後の率直な感想ですが、改めて茨中プールで活躍された先輩の方々に深い敬意を捧げたいと思います。

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高63回  二十歳の集い

2013年12月10日(火)更新
 平成25年1月4日、63回卒業生の二十歳の集いが開催された。久敬会館に集まった240名を超える参加者たち。制服に身を包んでいたあの頃よりはちょっぴり大人になった私たちは、卒業後2年の空白を埋めるようにそれぞれの近況や想いを語り合った。友人たちは皆違う道を歩み、新たな環境で日々挑戦をし続けている。嬉しいような、少し寂しいような、不思議な気持ちになったのは私だけであろうか。一方で久しぶりに会っても変わらぬ笑顔と優しさに触れ、帰る場所がある安心感に包まれた。茨木高校で学んだ人間力と、二兎も三兎も追うたくましさは、卒業した今も活かされていると実感した。今後の人生で待ち受けているであろうどんな困難にも立ち向かっていける勇気をもらった1日であった。
特別な時
間を過ごした私たちは、前を向いて歩きだす。「また今度」成長した姿で会える日まで。


(橋本 紗良 記)
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高37回  卒業生プチ同窓会

2013年12月10日(火)更新
 去る平成24年9月1日、グランヴィア大阪にて高37回卒業生での「小さな集まり」を開催しました。
 交流のある者同士つなげば意外な顔とも再会できるかも、というのが発端でした・・・。結果総勢60名もの方に集まっていただくことができました。急遽お声かけしたにも関わらず、奥田稔先生もご出席くださいました!
 卒業以来の再会も少なからずありましたが、あっという間に高校時代に戻って盛り上がれた2時間でした。
 「小さな」、で始めた企画故こんなに集まってもらえるとは思わず、告知の仕方が中途半端になってしまい申し訳なく思っています。
 次は2015年に卒業30周年の会ができたらいいな、という話もちらほらありますのでその節は皆様よろしくおねがいいたします!



(一 章子 記)
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高25回  第5回学年同窓会

2013年12月10日(火)更新
 高25回生の第5回学年同窓会は、卒業40周年を記念して4月20日(土)午後2時より、茨木市役所南館9階のスカイレストランにて開催しました。
 当日の参加者は133名で、1時間毎に3年生クラス、2年生クラス、1年生クラスと席替えをしたため、懐かしい顔ぶれとそれぞれに賑わいました。
 また名札には、名前と共に、卒業アルバムからスキャンした写真を個々に付けましたので、互いに若かりし頃の写真を見合い、思い出話も大変盛り上がりました。
 回を重ねる毎に、準備や当日の手伝いを申し出てくれるメンバーが増え、30名以上がスタッフとなる同窓会となりました。
 
***その他、高25回生に関するご案内***
 
メーリングリスト(代表:塩谷穣)には、220名以上が登録しています。フェイスブック(代表:佐藤孝三)も、最近作成されました。東京会(代表:武田和倫・磯部智)の同窓会は毎年12月に開催。ゴルフは東京と大阪でそれぞれ年2回、テニス部(代表:小野佳紀・工藤敏美)は、毎週末に忍頂寺スポーツ公園で活動しています。

 上記に参加のご希望がありましたら、メールにてお気軽にお問い合わせください。
10組 安田智枝(旧姓中村)   E-mail: ibakou25【アットマーク】gmail.com
 迷惑メール対策のため【アットマーク】を@(半角文字)に変更してご利用ください


(安田 智枝 記)
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高21回  同窓会

2013年12月10日(火)更新
 第21回、同窓会を平成24年11月3日(土)にANAクラウンプラザホテルで、138人の同窓生と恩師大石、森村、奥田、安座間の4先生をお迎えして賑やかに行いました。
 同窓会も回を重ねるごとに旧友との交流はもちろんですが、学生時代は親しくはなかったけど、同じ頃に同じ場所で学んだという事で新交(親交)を深めていく関係もできてきました。
 それで、今回はテーマを「繋がろう!繋げよう!」とし、60歳を過ぎ、仕事や子育てに一息つき始めた私たちがつながりを大切にできる同窓会をめざしました。ウエルカムジャズの歌声、開会、恩師紹介、懇談、同窓生サークル茨木童子のリードで「みんなで歌いましょう」・・・
少しずつ盛り上がってきた頃に、つながり企画として14グループ(美術鑑賞、旅行、演劇・ライブ、ウオーキング、食べ歩き、ハイキング、料理、楽器、合唱、読書、健康・ヨガ、ゴルフ、写真)に席替えしての趣味:つながり席でお喋りが続きました。次回同窓会でその後を報告し合う事になっていますが、酔っ払っていて出席者の皆様方は覚えてもらえているでしょうか?
 最後は、体育祭を思い出しフォークダンスで終わりました。「あの子?の所まで、また行けなかった」と呟く人も・・・
 2次会にもほとんどの人が参加し、3次会、4次会もあったようです。次回から2年毎となり来年の予定です。21回名物1年かけて企画していく次の幹事さんたち(各クラス2 ~ 3名)よろしく。

(樫本 佳子 記)
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高15回  卒業50周年記念同窓会

2013年12月10日(火)更新
 4月7日卒業50周年記念学年同窓会をリーガロイヤルホテル京都で開催した。文字通り半世紀ぶりに再会した人もいて、受付開始前から早くもあちこちで歓声があがる。参加者133人が姿形はともかくも一瞬にして18歳に戻り、同所で開いた二次会含め5時間を大いに堪能した。
 開会迄の1年半に幹事14人が集まること5度、担当別に2度。なるだけ多くへの周知と充実の会を願ってアイデアを絞り、前年夏に開催予告を出す・一次会は卒業時二次会は入学時のクラス毎に着席・高校時代の写真を集め映像として会場に流す、などを決めた。中心となったのが元ホテルマンの長屋隆さんで、さすが配慮がきめ細かいと、出席者から賛嘆の声が引きも切らなかった。東京から皆勤し緻密なプランやデータ収集で脇を固めた安岡伸之さんなど、幹事一丸の努力が実を結んだと言える。
 恩師でご出席頂けたのは残念ながら青木昭二先生お一人だったが、会場を見渡して「アレ、先生はどちらに?」、誰が生徒か先生か…!(笑)。85歳には到底見えない先生のお若さ、生涯現役の生き方に皆が感動した。
 が、皆も負けてはいない。それぞれに今を青春している様が見えるようで、出席者紹介は聴き応えがあった。一次会終了前には校歌「天つ空見よ」、卒業した昭和38発売の「高校3年生」を大合唱して盛り上がった。
 一方、既に故人や、自分や家族の病気で欠席した人も少なくない。こうした仲間に思いを馳せ、参加できたことに感謝、健康に留意してまたの目見えを誓い合った。


(猪股 満智子 記)
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高14回  古稀記念同窓会

2013年12月06日(金)更新
 高校第14回生(昭和37年3月卒業)古稀記念同窓会を平成25年5月12日(日)に、4年振りにパナソニックリゾート大阪で開催した。
 参加者は、68名(男37名、女31名)であった。卒業生394名のうち物故者数は38名で前回より8名の方が鬼籍に入られました。近畿圏以外からは、北は茨城県守谷市から南は宮崎県日南市まで10名が参加してくれた。恩師は、大矢稔先生は体調不良、植栗左千子先生は海外旅行中、田中稔先生は出席を見合すとのご返事で、残念ながらご出席されなかった。
 吉田洋次君の司会で、まず東日本大震災犠牲者と新たに物故者となられた同窓生に黙祷をささげ、芝野孝一君の開会の挨拶、吉田光彦君の乾杯の発声の後、懇親パーティーに入った。
 当初クラスごとの席で『出欠の近況報告』をもとにお互い話し合っていたが、アルコールがすすむにつれ他のテーブルへ移動(特に6・7組の女子クラス)し和やかに歓談した。「歳をとると友づくりが困難になるとともにこれまでの友人がだんだん少なくなってくる。お誘いの会があれば必ず出席する」という日南市からの同窓の言葉が印象深かった。クラスごとの写真と全体写真を星野登茂一君他に撮影してもらった。在学中は恥ずかしくて口もきけなかった憧れの彼女(彼氏)と照れくさそうに写真に納まる人たちもあり、楽しいひと時を過ごした。
 次回のクラス幹事を決め、喜寿(77歳)を目指して再会を約束した。今回来られなかった同窓生は、次回の会合には是非とも出席されることを希望します。




(吉田光彦 記)
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高9回  懇親ゴルフコンペ

2013年12月06日(金)更新
 〝継続は力なり〟昭和45年(1970年)から延々春秋恒例となっている9回生ゴルフコンペが、平成25年5月14日快晴無風、絶好のコンディションのもとよみうりゴルフウエストコースで開催した。
 今回も遠来の横浜から小西督士、紅2点の安井理子、小田弘子など16名が参加、白球に興じた。
 集合時間の40分前に到着した早起き鳥もいて『ゴルフの日は早く目覚めるんだ』との言。古稀を超えているとはいえまだまだ気力・体力(?)共の充実は、60年前在校時の青年のまま。
 新緑のゴルフコースは、白球とのコントラストが目にも鮮やかで『かっ飛ばすボールも良く見えるね・・』とスコアには拘わることなく、色鮮やかなつつじは目に、鶯の囀りを耳に、楽しくラウンドできた春の一日だった。
 優勝は、何とハンディキャップ0の奥村博昭が9年ぶりに栄冠。
 新参加希望の方は、安田稔(072-696-5193)まで。
写真は前列左から、清水寅三、池澤晴三、中村毅、小田弘子、安井理子、安田稔。後列左から、岸野
光雄、奥村達雄、奥村博昭、小西督士、重田昌三、松田和久、大内實、数元啓晋、吉田満、細川捷。




(安田 稔 記)
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高8回  同窓会

2013年12月06日(金)更新
 霜降を4日過ぎた秋日和の10月27日、梅田キタ街の弥 生会館に91名が集う。
 恩師で出席いただいた青木先生、お元気で相変わらずバドミントンの虫。あいさつの中で、当日も府立体育館でバドミントンの試合を観戦されたとか。また、バド情報を中心にご自身もHPを開設されているとか。この学年にも、米倉など、先生のバドの薫陶を受けた者も多く、吉野幹事長も1年のとき、府の新人戦で優勝したとか嘘のような回顧談。
 卒業後56年も経つとみんな性格もまるくなり、和気あいあいのうちに青春にプレイバックしながら午後が過ぎた。好好爺(姥)の話声も、子どもや孫たちの話題で持ちきり。
一方で
自分たちのこれからに一抹の不安を抱える話題も囁かれた。みんな「桜花巡礼」から「残花巡礼」の齢になったが、サクラは散ったあとも「花模様、花筏、花吹雪」などの美しい刻を迎える。我々もこの時代に相当すると老いが意気盛んであった。
 381名卒業したが、鬼籍に入った者49名、居場所不明の者約70名、案内状を発送した者260名、そのうち91名出席、出席率35%。欠席理由で一番多かったのは、本人の体調不良(脳梗塞、脳溢血、ガン治療中、肢体不自由)など。他に当日、地域のボランティア活動に参加、旅行中など。後者は、1年半後の同期会に参加が見込めると幹事一同胸をなでおろした。
(藤原俊一 記)
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