久敬会ミニ講演会(3) 「いざという時のために治療のさし控えについて考えてみませんか?」

2014年01月21日(火)更新
久敬会ミニ講演会(3)
 
演題:「いざという時のために 治療のさし控えについて考えてみませんか?
~人工呼吸、胃ろう、透析について知っておきましょう~」
講師:市立池田病院 内科医師 梶原信之氏(高33回)     
日時:2013年11月30日(土)2時~4時
場所:久敬会館     参加者:27名
担当行事委員:辻本、中西、安田、田中(記録)

 今回の講演テーマは、ご講師からいただいたものですが、このことを考えることの大切さを改めて知らされました。終末期医療については、医療の差し控えを決めるのは最終的には、本人や家族です。決定のために前もって知っておきたいことを、パワーポイントで講演いただき、持参された医療用の人形や胃ろう用の器具なども使ってわかりやすく説明してもらった。毎日、医療の現場で患者と向き合っておられる中での体験談に、参加者は自分のことや親のことを考えながら熱心に聞いておられた。 その後参加者から、○腎臓移植についての問題点 ○どういう死が幸せといえるか ○病院の先生が、どういう考えのもとに治療されているのかを知る方法は など多くの質問が相次ぎ、それぞれに懇切丁寧に答えていただいた。
 
 
(講師プロフィール)
茨高卒業後、滋賀医科大学を出て医師になり、1997年から市立池田病院の内科(腎臓内科)に勤務。現在は同病院内科主任部長。内科学会総合内科専門医。腎臓学会指導医。透析医学会専門医。プライマリ・ケア認定医。医学博士。兵庫医科大学臨床教育教授(兼任)
 
(講演内容)
以下のスライドと説明文はご講師からいただきました。掲載については、枚数が多いため一部省略させていただきましたことをお断りします。
 
いざという時のために治療のさし控えについて考えてみませんか?
人工呼吸、胃ろう、透析について知っておきましょう

市立池田病院 内科医師  梶原信之
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2013年度久敬会総会・懇親会は無事に終了致しました!

2013年09月18日(水)更新
2013年度久敬会総会・懇親会は無事に終了致しました!

10月6日(日)14時からホテル阪急インターナショナルで開催された今年の久敬会総会・懇親会は、約160名の会員が出席して開催されました。

そして、17時に予定の内容(総会・懇親会)をとり行い、盛大の中、会員同志の交流を含めて、無事に終了し、次回の再会を期しました。

その内容は追って、ホームページに掲載致しますのでお待ち下さい。

ご参加頂きました会員の皆さまに厚くお礼申上げます。
引き続いて、ミニ講演会を順次、開催してまいりますので、今後共、久敬会への各行事等ご理解とご協力をよろしくお願い申上げます。

本当に有難うございました。

(2013年10月7日 朝)
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2013年6月1日(土) 定例幹事会報告

2013年06月17日(月)更新
定例幹事会で決まった概要をお知らせ致します。
 
去る6月1日(土)14時から、久敬会会館で定例幹事会が開催されました。そこで、
決まった内容をお知らせ致します。
尚、出席者は55名で、161名の委任状が提出されており、定数の過半数を超えていますので、幹事会は成立致しました。
又、幹事会の議長は、事務局より推薦された喜多康文氏(高21回)が選出されました。
 
  • 大友会長挨拶
   本日はご多忙の中、幹事会に出席頂き有難うございます
 本日は5/25の理事会での結論を踏まえて、各委員会報告があり、その後決算、予算を審議いただき、最後に120周年対応につき話し合いたい。
 
2.岡﨑名誉会長(現学校長)挨拶
   卒業生講座、スプリングセミナー、研究室訪問、東京スタディーツアーなど久敬会員の方々の支援は他校に見られないことであり、非常に感謝している。
 
3.2012年度事業報告と2013年度事業計画
 
1)総務委員会
  ① 名簿の発行を120周年にあわせて1年延期し、以後は5年ごととする。
② 従来の「内規」という名称を「運用細則」に変更し、内容的には内規の一部を削除、変更および追加した。
③ 昨年度実施した若手会員との懇談会は、今年度もテーマを絞った形で継続する。
④ 本年度は同窓会の活性化策として、学年同期会の支援を検討する。
 
2)行事委員会
① 昨年度に実施した行事内容および本年度の行事予定をHPに掲載する。
  • 本年度の総会は2013.10.6(土)14~17時に決定。今年は大規模総会の年であり、梅田のホテルで実施する。なお総会担当期は高14回、高24回、高34回である。
  • 本年度は4つのミニ講演会のほかに、複数の卒業生の講師を招いて若い会員向けの行事を実施する。
 
 3)広報委員会
  • 昨年度から久敬会報をオールカラーにした。本年度はB5からA4に変更し、ページ数も24頁から32頁に増やして読みやすく、内容も充実する。8月末に発送する予定である。
  • ホームページ(HP)については、業者としてプリンティングサービス社を選定した。6/1に公開予定。
                
4)財務委員会
①久敬会は会費の収納率の低下が続き、財政的に苦しい状況にある。今後は会費収入拡大の方法をH28年度からの実施を目指して検討する。拡大策としては
  • 年会費の増額 2000円~3000円/年
  • 会費収納率の向上策として支払いやすい徴収方法、例えば単年度支払い、自動引落し、コンビニの活用等を検討する。  
②H28年度での会費値上げ実施を念頭に、会報やHPで会費値上げに関するアナウンスを事前に行って会員の理解を得るようにし、その内容は今後検討する。
 
5)上記の4つの委員会から説明された2012年度事業報告と2013年度事業
     計画はいずれも承認されました。
 
4.2012年度 決算報告
    財務委員会案どおり承認された。
 
5.2013年度 予算案
    財務委員会案どおり承認された。
 
6.事務局報告
   ① 学年別会員アンケート結果は配布資料の通りである、ぜひ有効活用願いたい。
 
7.120周年記念事業について
   ①120周年の募金対応は下記の通りとする。
  募金目標金額  6000万円  
  募集期間    2013年9月 ~ 2016年3月末日
  募金募集方法  1口:1万円として募集案内する。
          但し、少ない金額でも受け付けるが特典はない旨記載する。
②今年度の久敬会報に120周年記念の概要と募金の依頼を掲載する。
その文案は「創立120周年記念事業募金」(事務局案)とする。
  ③記念事業の具体案は今後、創立120周年実行委員会を中心として作り上げる。
  
   尚、「120周年記念事業概要」は事務局案にて承認されました。
そして、事業概要は別ページ(120周年記念事業募金)でご確認下さい。
                                以 上
                        (2013年6月17日作成)
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2012年度行事実施報告

2013年05月10日(金)更新

(1)学校のプールを久敬会員に開放

日時 2012年9月9日(日)1時30分~4時

(2)久敬会ミニ講演会1 「私の海外ボランティア」

日時 2012年10月8日(日)2時から4時
場所 久敬会館
講師 井田誠夫氏
1942年生れ。茨木高校旧職員(理科担当)。
2003年~2011年にかけて、JICAシニア・ボランティアとして、3カ国で理科(おもに実験教育)の指導を行う。

(3)ハイキング「隠れキリシタンの里・竜王山」

日時 2012年11月17日(土)少雨決行

(4)久敬会ミニ講演会2 「世界の巡礼路を歩く」

日時 2012年12月1日(土)2時から4時
場所 久敬会館
講師 問屋正勝氏(高16回)
日立製作所勤務、米国日立テレコム社(社長)等を歴任して2006年退職、その後スペイン語通訳をしながらサンティアゴ巡礼を始める。共著「聖地サンティアゴ巡礼」

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2012年度「久敬会総会」報告

2013年05月09日(木)更新
 久敬会の組織改編、会則の改定により12年度より総会が毎年開催されることとなりました。今年度の総会については急なことでもあり、今回は従来のように各期の協力を依頼せず、行事委員会が主となって企画・運営を行いました。
 
  • 日時 10月28日(日)3時より5時30分
  • 会場 茨木市役所南館9F スカイレストラン
  • 会費 2,000円
  • 次第
会長挨拶、校長挨拶、会務報告
ミニ講演「茨高の大先輩高碕達之助の人と業績」
 講師 吉原晶子氏(旧姓鳥居 高40回 高槻市立中央図書館司書)
 ⇒講演資料(PDF:291KB)
懇親会 途中にスピーチ
 

 朝から雨模様で心配しましたが、準備が始まる昼過ぎから雨脚が衰え、会が始まる頃には雨はやんでいました。当日は、母校で文化祭が開催されていて、見学された方もあり、2時半過ぎから続々と人が集まり、3時から総勢126名の総会が始まりました。会に先立ち、茨木市の施設をお借りしたということもあり、高15回卒で茨木市長である木本保平氏のご挨拶をいただきました。総会は、例年通り黙祷、開会のことば、会長挨拶とすすみ、今年度8月に新しく茨木高校校長として赴任された高30回卒の岡崎先生のご挨拶もいただきました。会務報告では、久敬会の組織改編の概略が述べられ、新事務局長からの挨拶もありました。

 続いて、第二部のミニ講演。「茨高の大先輩高碕達之助の人と業績」と題して、吉原氏のお話がありました。様々な文献を通じて、大先輩高碕氏の業績とお人柄が紹介され、終了後にはたくさんの方々から感想のことばが寄せられました。吉原氏は「このような機会を与えていただいたことを深く感謝するとともに、また新しい情報の収集にも努めたい。」と述べておられました。

 第三部の懇親会は、東京久敬会会長の中田氏のお話と乾杯で幕を開けました。約30名の現役茨高生の東京訪問時に、東京久敬会が受け入れたお話を披露され、心強い先輩のお手本を示されました。宴の途中、今年100歳になられた石高治夫氏(中32回久敬会顧問)の元気なスピーチがありました。そのかくしゃくとしたお姿に会場は騒然となりました。石高氏は、高碕達之助に直接声をかけられて東洋製罐に採用され、以後30年以上にわたって勤めあげられたこと、さらに18回訪中され周恩来首相と直接話をされ、「水を飲む時は、井戸を掘った人を忘れず」や「小異を捨てて大同につく」の言葉をかけられたことなどを話されました。その他、大木令司前会長や元校長の橋敏昭先生からもスピーチがありました。橋先生は「久敬会は自分の母校の同窓会のように親しくさせてもらって毎回出席している」とお話されました。宴会中は、卒回を超えた交流が会場内のあちらこちらで見られ、時間はまたたく間に過ぎて、恒例の校歌斉唱へ。無事に5時半に閉会となりました。それぞれ満足のうちに名残惜しく会場を後にしました。

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プール開放 2012年9月9日(日)

2013年05月09日(木)更新
 朝晩は秋の気配を感じるようになりましたが、この日の最高気温は33度。午後1時前から役員や水泳部OBなどの協力者がプール入口に受付を設け、またプールサイドの本部テーブルにお茶とお菓子を置いて準備完了。開場の1時半を待ちました。来場された方には順次自由に泳いでもらい、2時にはプールサイドに集まってもらって開会式。参加者は役員、協力者さらに見学者を入れ最終的には総勢27名。大友会長の挨拶。懐かしい旧プールの話から始まってこのプールができるまでの歴史を話されました。水泳部顧問の木場先生(高42回)からもこのプールの説明をしてもらいました。「授業は横25メートルのコースを使用して2~3クラスが同時に行う。」「水泳部はOB会が買ってくれた水面を覆う保温用ビニールシートを使って11月まで練習する。」参加者の声として「1人で1コースを独占して十分満足して泳げた。」「50メートルのコースを泳げなかったのは残念。」「昔取った杵柄で会長の泳ぎぶりは見事だった。」「また来年もこの行事をやってほしい。」見学の人からも「電車から見ているだけだったが、中に入り大きな立派なプールで感心した。」などの感想が寄せられた。4時になり、それまでずっと長時間泳いでいた人もおられたが、時間通りに終了した。この行事に協力していただいた木場先生と水泳部OBの大学生4人には厚くお礼申します。
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久敬会ミニ講演会(1) 「私の海外ボランティア」 2012年10月8日(日)

2013年05月09日(木)更新
(2013年6月27日修正)

日 時  2012年10月8日(月) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  井田 誠夫氏(茨高旧職員)
参加者  23名

講演内容
 初めに予定されていた9月30日は、台風の影響で警報が出ていたため、1週間延期されました。それでも参加を申し込まれていた人は、ほぼ全員の方がお越しいただきました。
講師の井田先生は茨高の旧職員(理科担当)で山岳部の顧問をされていたということで、当時の山岳部のメンバーから花束の贈呈がありました。講演の内容を以下に略記します。
 定年後6年間、パプア・ニューギニア、ホンジュラス、ラオスでボランティアとして大学や公立・私立学校、子ども博物館の理科教育に携わる中で、“発展途上国”における教育の困難さを実感した。
 最初に行ったパプア・ニューギニアでは、いまだに太平洋戦争の傷跡があちこちに残っており、人々は戦争のことを今も忘れてはいなかった。治安もあまりよくはなく、私はボランティアとして何をしたらいいのか?という思いに駆られ、なんだか空回りをしていた2年間ではなかったか?という気持ちにもなった。日本の援助でできた図書館はあっても本はなく、また毎日モデル授業を指導し、衛星を使うTV放送を作成して放映しましたが、教師自身の学力不足や放送受信の問題等、有効な活用は難しいようだった。

 次に行ったホンジュラスは、一部の富裕層と大部分の貧困層からなり小学校を終えるのは6割程度である。公立学校へ通う生徒は、家庭環境も悪く貧しい生活を強いられている。一方で私立学校は割合レベルが高い所が多かった。学校の先生はできることは何でも見つけてやっていこうという姿勢が感じられ、そういう意味ではやりがいのある環境であった。国民性は喜怒哀楽の表し方が素直で、「アスタマニアーナ」「また明日やろうよ」という世界で、人々は家族や友人、今日を生きることを大切にしている。
最後にラオスに滞在した。ラオスは内戦終結と共に、1975年社会主義国として独立した。しかしその後、教育にはあまり力を入れてこなかったようで、そのため先生自身も理解できていないことが多く、生徒にとってはより一層わからないことが多い。国立ラオス大学を卒業して教員になっても、教員だけでは生活できないという状況がある。また外国の援助による理科実験器具はあっても、使い方がわからず、新品の顕微鏡が13年間封を切らずに放置されていたり、そしてここでも教師の学力の低さには驚いた。
また内戦が続いたため、小中学校の教育を満足に受けられなかった人も多く、いかに基礎学習が大切かということを知らされた。日本からもJICAを通じて援助がなされている。これからも、特に医療や教育についての先進国からの援助が必要で、ラオスの国民全体の基礎学力を上げる必要が感じられた。
いろんな国でのボランティア活動を通じて、翻って考えるに、日本の教育は果たして先進国といえるのだろうか?今後の理科教育のありかたを考えるきっかけともなった。

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ハイキング「隠れキリシタンの里・竜王山」 2012年11月17日(土)

2013年05月09日(木)更新

 天気予報が当たり、全国的に雨天になった11月17日(土)、朝8時30分過ぎになると阪急茨木バス停2番乗り場には、ハイキングの格好をして傘を差した中高年の男女が姿を見せ始め、55分発の忍頂寺行きに乗車した人は13名になった。「前日19時前のNHKの気象予報で17日午前中の降水確率が50%以上の場合は中止」としながらも、その場合でも「キリシタン史料館見学は可」であり、「当日の状況によっては希望者のみで短縮コースも検討する」と、参加予定者には事前にアナウンスされていたため「雨ニモ負ケズ」メンバーが集まった。
 一行は千提寺口バス停から15分程歩いて「キリシタン遺物史料館」に到着、学芸員2名の出迎えを受けた後、「キリシタンの伝来と茨木」「隠れキリシタンと遺物発見秘話」等のビデオを鑑賞した。晴天であればダイジェスト版の予定であったが、この日は40分近くフルで見ることになった。遺物発見の最大の功労者である藤波大超氏(中18回)のユーモラスな解説・説明の場面では、思わず笑い声が起こっていた。
 かなりの雨になってきたが、11名はビデオの中でも紹介されていた「キリシタン自然歩道」を歩くことを選択、「竜王山荘」へと向かった。約30分で到着、貸切り状態の中、注文した食事が出てくるまでの間を利用して全員が自己紹介、和やかな雰囲気に包まれた。雨脚は一層激しくなってきており、竜王山頂への登山は無理であろうと誰もが得心できる状況になっていたため、その場でゆっくり寛ぎ記念写真を撮った後、1時40分のバスに全員乗り込んで帰路についた。海外の山の経験者から健康目的で参加したという人まで様々で、「また機会があれば」という雰囲気の中での散会となった。
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久敬会ミニ講演会(2)「世界の巡礼路を歩く」 2012年12月1日(土)

2013年05月09日(木)更新


日 時  2012年12月1日(土) 午後2時~4時
場 所  久敬会館
講 師  問屋 正勝氏(高16回)
参加者  39名

講演内容
 定年退職を5年後に控えたある日、スペインに巡礼路があることを知りました。スペインの西北端にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して毎年世界中の国々から何十万人もの人たちが歩きに来るのです。退職までの5年間、すっかり錆びついた体に鞭打って、体力づくりに励み、スペイン語の勉強に力を入れました。
 そして、定年退職後、2007年から毎年スペインへ出かけて、スペインやポルトガルに広がる800kmから1000kmの巡礼路を歩くようになりました。歩いているといろいろな国の人たちに出会います。皆サンティエゴを目指して歩くいわば巡礼の同志です。その中には学校の先生、医師、看護師といった人たちも多くいました。巡礼路はロマネスク美術の宝庫と言われ、11世紀頃からの教会建築や美しい街並みが醸し出す雰囲気に浸るのは巡礼中の楽しみのひとつです。また麦畑の緑、黄色いひまわり、赤いアマポーラや紫色のラベンダーの花の群生地の美しさは今も思い出されます。そしてひと月歩いた後、初めて聖地サンティアゴに到着したときの感動は今も忘れられません。
 巡礼路では最初はやはり筋肉とかマメの「痛み」しかありません。しかし続けていると、喜びに変わっていくことを実感できます。
 歩き終わった後には、毎年、巡礼宿で2か月間、ボランティアをしています。巡礼路を歩くのもよい経験ですが、、土地の人たちと一緒になって巡礼者を受け入れてお世話をすることは、それ以上に良い経験です。巡礼宿の仕事は、部屋やトイレの掃除、食事の準備や後片付け、宿泊する人のマメの手入れや健康管理の手伝い、巡礼路の案内、宿帳と宿泊料の管理などいろいろですが、巡礼宿のトイレの掃除は特別な体験で、人生観がかわった感じがします。
 滞在中にこれまで10回くらい医療通訳をしました。巡礼中に体調を壊し、巡礼宿数日間寝込む人のお世話をしたこともあります。異国に来て言葉がわからない状態で不安でどうしようもない、そんな時、「いかがですか?」と声をかけてあげるだけで、翌日「ご親切は一生忘れません」と丁重なお礼を言われたこともありました。
 巡礼路上にある人口    400人のモリナセカ村は、私が毎年ボランティアをしている巡礼宿がある村です。偶然のきっかけから、私がコーディネーターとなって四国お遍路の町がモリナセカ村と交流を始めました。2010年にはモリナセカ村の村長一行が四国を訪問し、各地で大歓迎を受けました。
 スペインの巡礼路を歩くと決めて10年の歳月が過ぎました。これが10年前に望んでいたことなのか、これからどこへ行こうとしているのか、自問自答は続くと思います。
 

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