高8回  同窓会

2013年12月06日(金)更新
 霜降を4日過ぎた秋日和の10月27日、梅田キタ街の弥 生会館に91名が集う。
 恩師で出席いただいた青木先生、お元気で相変わらずバドミントンの虫。あいさつの中で、当日も府立体育館でバドミントンの試合を観戦されたとか。また、バド情報を中心にご自身もHPを開設されているとか。この学年にも、米倉など、先生のバドの薫陶を受けた者も多く、吉野幹事長も1年のとき、府の新人戦で優勝したとか嘘のような回顧談。
 卒業後56年も経つとみんな性格もまるくなり、和気あいあいのうちに青春にプレイバックしながら午後が過ぎた。好好爺(姥)の話声も、子どもや孫たちの話題で持ちきり。
一方で
自分たちのこれからに一抹の不安を抱える話題も囁かれた。みんな「桜花巡礼」から「残花巡礼」の齢になったが、サクラは散ったあとも「花模様、花筏、花吹雪」などの美しい刻を迎える。我々もこの時代に相当すると老いが意気盛んであった。
 381名卒業したが、鬼籍に入った者49名、居場所不明の者約70名、案内状を発送した者260名、そのうち91名出席、出席率35%。欠席理由で一番多かったのは、本人の体調不良(脳梗塞、脳溢血、ガン治療中、肢体不自由)など。他に当日、地域のボランティア活動に参加、旅行中など。後者は、1年半後の同期会に参加が見込めると幹事一同胸をなでおろした。
(藤原俊一 記)
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中46回  東京うだつ会

2013年12月06日(金)更新
 
 第20回「東京うだつ会」(第46回[昭和20年]卒、首都圏在住者同窓会)を、昨年と同じ霞ヶ関ビル35階、東海大学校友会の一室で行った。
 19名中10名が入院、急病、家庭療養中、遠距離などで欠席の回答だったが、大阪から鈴木君が駆けつけてくれ、昨年と同数の10人が元気な姿で参集した。
 例により、西田君の開会の挨拶、続いて長谷川君の時事講演、乾杯に始まり、12時~ 14時の予定を超過して和気藹々の間に、来年の再会を期してお開きとなった。

 写真は左から上田、佐藤、西田、清水、下田、鈴木、長谷川、山上、内山、彦坂(敬称略)
 
(山上 記)
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中46回  うだつ会 同窓会

2013年12月06日(金)更新
平成24年11月23日恒例の同窓会を行った。うだつ会は鈴木君ご夫妻に長いあいだお世話になったが奥様が亡くなられたので久富君と仁木君にお願いした。鈴木君有難う。また元気が出ればお願いします。場所も茨木の駅近くに仁木君のお世話で良い場所があったので今後はここで行なうことにした。

集まったのは17名。東京を含め
ると30名近くとなりこの歳になって集まったものだとお互いに感心している。同窓会に出席している常連はほとんど亡くならない。
席上で長生きのコツは何かと質問が
あったが出席者はここまで生きたのだからそれぞれうまく生きているのだ。長生きについては種々言われているがいいと思うことは実行し続けることだ。共通することもあると思うが引っ込みがちにならず明るくわいわい話すことやしゃべること。それも何も考えず気楽にしゃべれる中学の同窓会が最も良いと思う。

体が悪く長く欠席
の続いている平田君がおそらく自宅になったであろう柿を届けてくれた。外観はよくないが久しぶりで昔の柿の味を思い出しつつ頂いた。実に美味しかったがこれこそ昔の若かりし同窓に対する良き贈りものであった。
この
会はまだまだ続くと思います。有難う。
皆さんそれぞれ
の健康法によって体を大切にしこれからも皆勤してください。
(吉川 記)
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中44回  四四会 2012年例会

2013年12月06日(金)更新
 毎年、10月20日、恒例の阪急32番街グランド白楽天で茨中44回生会が平成24年度として賑々しく(?)開催された。久敬会学年別同窓会の最年長組か(?)。といっても過去実績最少11名の出席であったが、千葉や横浜からの関東組の顔を見たのは心強い限りであった。
 辻幹事のあいさつに続き、去る1年間の物故者(甲田正=吹田の町役)の黙祷の後、母校開校110周年記念写真集の購入方の依頼の上宴に移る。

 今年は昭和18年卒業時より70周年にあたり、加えて誕生が大正14 ~ 15年で米寿の福寿にあたるという有意義な年である。3時間に渉る各自の人生談は、在学時の思い出、健康状況、あるいは世情談義など際限がないが、誰かがもっと面白い艶っぽい話がないかと活を入れても軌道修正はなかった。歳のせいか。
 高層階の会場よりの眺めは西に武庫、六甲、右へ能勢の山並み、そして竜王山、天王山と、三島野を眼下にしてかつての壮々が駈け巡った足跡を偲び次回を約し校歌「天つ空見よ」を合唱して散会となった。

 写真は前列左から井上稔、伊東忠夫、奥井清、豊島芳治、後列左から辻二郎、門川仁朗、西田善一、林慶夫、今井広政、中村満郎、川端義則。
(西田 記)
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高19回 新大阪ワシントンホテルプラザに151名が集結!

2013年11月28日(木)更新
~ 高19回学年同窓会が10月14日に開催される ~


平成25年10月14日(月:祝)11時30分より、高19回の第5回学年同窓会が新大阪ワシントンホテルプラザで開催されました。前回の還暦同窓会から5年振りの再会で、私たちも65歳に達しました。参加者は同級生が147名、恩師の先生としては4名(水谷勝先生、牧村俊男先生、鵜飼壮一郎先生、酒井義人先生)の方々をお迎えし、合計151名の多くのメンバーが出席となり、盛大に行われました。

最初に亡くなられた担任の宮下順三先生、福留照尚先生、安田喜一先生、石川ヒサエ先生に、同期生で亡くなった26名の方々に対して、全員で黙とうを捧げ、ご冥福を祈りました。

その後、恩師の先生方のお言葉を頂いた開宴後は、20余りのテーブルに分かれて、お互いに喧騒の極みのように爆笑や積もる話の渦に花が咲きました。3年生、2年生1年生のクラスに時間を区切って席替えをしたのも3倍以上の懐かしい再会でした。集合写真 閲覧用PDF 3.6MB

とりわけ、2年生、1年生の席替えでは、高校卒業後、初めて再会できた方が数名もおられ、クラス集合写真も良い記念となりました。ご自分の2年生、1年生クラスの記憶がない方にとって、今回代表幹事の岡本巧君が作成してくれた1年、2年、3年時の同期生全員の名簿をコピーして配布してくれ、移動も楽でした。

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高4回生 同窓会が10月25日(金)に久敬会館で開催致しました!!

2013年11月15日(金)更新
高4回生同窓会が10月25日(金)に久敬会館で開催致しました!!



同窓生の大半が80歳の大台に乗ってしまった今年の“高4回生同窓会”は台風27号の余波を受けて、雨降る中、遠くは関東、そして北陸の能登からの参加者を入れて59名のメンバーが集まり、正午より久し振りに懐かしい久敬会館で始まりました。平成25年10月25日(金)のできごとです。

2階の会議室は有志の世話役による手作りの雰囲気ある会場となり、そこでわいわいと時間を忘れる程に昔話等で大いに盛り上がりました。

その盛り上がりが続き、いつのまにか、閉会となる午後4時になるのに気が付かず、時間が余りにも早く過ぎてしまった4時間でした。

慌てて、中締めをして、名残りを惜しみつつ再会を期して散会となりました。
前回の同窓会から1年半振りの楽しい一時(ひととき)となりました。
(高4回 水野 輝夫 記)
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高28回 学年同窓会

2013年10月09日(水)更新

平成25年8月24日、ホテルグランヴィア大阪20階「名庭」にて、第三回学年同窓会を開催しました。10年前の第一回は250名、5年前の第二回は185名、今回も179名の参加を得て、盛大な集いになりました。

石橋初代委員長の司会により開会。亡き恩師・友人へ黙とうを捧げたあと、柴崎委員長が挨拶。久敬会から中村事務局長、恩師は坂口義三郎・亀谷笄子・穐山靖彦・福嶋明子・足立和久の各先生が出席され、坂口先生からは「衰退しそうな日本を貴方たちが元気にしてください」と祝辞、乾杯の音頭をとっていただきました。

3年次のクラスで食事・歓談のあと、全体集合写真撮影、その後2年次・1年次と席替えして歓談。その間、あちこちでクラス・出身中学・クラブなどで記念写真を撮る場面が見られ、みんな高校生に戻って楽しい談笑の輪が広がりました。

中村事務局長、今春から茨高に赴任された中野さんから久敬会・在校生への協力依頼があり、その後平成16年から毎年11月に行っている修学旅行(今年は伊勢志摩)のPR。全員で校歌斉唱のあと、石橋・伊藤・柴崎各委員長からのバトンを宮部次期委員長が引き継ぎ、“バンザイ三唱”で閉会。5年後の還暦記念同窓会の開催も決まり、“未来志向”の明るく希望に満ちた同窓会となりました。その後1階下のパブにて2次会、こちらも131名が参加して大盛況、あっという間の6時間でした。

10年前の第一回学年同窓会から再び始まった「茨高28回」というご縁を大切にして
これからも大小さまざまな交流を通じて、よりいっそう絆を深めて行きたいと思います。
(槌田明代 記)
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高31回 学年 同窓会 実施報告

2013年08月09日(金)更新

 

 2013年1月3日(木)に久敬会館で、高31回の同窓会を開催致しました。

 朝10時から夜8時まで、いつ来ても帰ってもいいフリータイム制。

 世話人からの連絡は10年前のメールアドレスと掲示板。出欠の回答は不要で、同級生に転送して下さいと依頼しました。

 開始直後は数名程度が寄り添うような状態でしたが、12時過ぎには40名、夕方5時には写真のように最高潮に達しました。卒業生は117名で担任は奥田、甲部、永井、仲西、福嶋、森田の各先生にお越し頂きました。

 変貌著しい参加者もあり、全員に当時の名前と1~3年のクラスを名札に書いて貰いました。 

 誰かが持ってきたアルバムに昔話が弾んだり、先生を車座に囲んで消息を報告しあったり、校内を散策して記憶を辿ったり、3年だけでなく2年や1年のクラスで記念撮影したりしていると、瞬く間に時が過ぎ、次は4年ほど後か、いやいや還暦かとお互い勝手な再会を期して散会しました。

 幹事を決めずに準備を始めましたが、連絡係や受付に手を挙げる人、葉書まで出す人、当日早くから手伝う人、両手一杯の差し入れをする人、ふらりと現れる人、自転車で颯爽と買い出しに行く人、炊事場と会場を行き来する人、最後まで残って片付けする人、そんな人たちの、あの頃より少し音程が低くなったわーんという喧噪。いい同窓会でした。

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(世話人 高木 郁二)
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中36回(十和会)平成24年度有志同窓会

2013年05月15日(水)更新

平成24年5月18日(金)に十和会の有志の同窓会を開催した。昨年の出席者は、5名であったが、須川兄が亡くなられたので、4名の諸君に連絡をしたが、安達兄は歩行が困難で、出席出来ないとのことで、笹川、谷口、村上の3名になった。我々は、今年中に、満95才になるが、出席の皆は元気に見えた。定刻の正午前に昨年と同じ、芥川の中国料理の尚興園に集まり、早速ビールで乾杯、お互いの健康を祝福した。話は、茨中の旧友の事に集中した。118名卒業したが、今存命しているのは、数名に過ぎない。十和会は、昭和10年の卒業に因んで命名されたものである。昭和54年(1979)に第1回が開催され、初期を除いて、毎年開催され、平成20年(2008)の第23回、満91才で、正式のものは、終了し、有志の同窓会が、平成21年(出席者5名)、22年(3名)、23年(5名)で開催されている。久敬会の中でも、最も永く続いた会と思う。話は、中学時代の種々の話題に渡り、中学生に帰ったように、楽しい時を過ごした。最後に、有志の会も今回で終了することにして、3時前に互いの健康を祈念して散会した。
(村上陽太郎 記)
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中44回(四四会)11年例会

2013年05月15日(水)更新

最高齢層でも旧中44回は、クラス会も久敬会総会でも健気に活躍していると、ひそかに自負しているが、辻・小笠両幹事の糾合宜しく、と書きたいのに、その辻が一昨夜腸閉塞に猛襲され救急車で入院。坂が世話人で補いながら平成23年10月20日(木)13時半から恒例の梅田阪急グランドビル「白楽天」で、全国から11人の精鋭参加で開催。たいしたものだ!昨年以降甲田豊・豊田・八山・浜口・藤川・吉田・米原・蔵人と8人も逝去の悲運を悼んで黙祷の後開宴。辻心づくしの中華特注料理と各自思い思いの飲物で歓談忽ち昂揚。川端が幹事臨時代理の司会で、辻の見舞カンパを提案即賛同をえてスピーチ一巡に入る。世の中閉塞感充満の今の日本で85~6才の生きがいを享受させて貰えた。或る意味ではエリートたるをありがたく思い、病気の話しはよそうと申し合わせるが、耳の遠い奴は通ぜず、ガン手術闘病談の長口舌以外は、「茨虫塚」建立のまじめな成果や東京勢の動静を賑やかに伝え、或は茨木の文化財顕彰を報告。総じて渾名入りの恩師の想い出や自ら教員たりし教え子たちの盛り立てをなつかしむ向き、惚気交じりの女房感謝回想もあり、少人数出席のためか、心なしかシンミリ調のおかげさま老人会だが、旧友なつかしの集いですっかり元気を取戻して「天つ空見よ」合唱で散会。出席者は井口・井上稔・
今井・小笠・奥井・川端・坂・笹川・豊島・西田善・林。
(坂 記)
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中46回(うだつ会)総会

2013年05月15日(水)更新
H23.11.21.ラマダホテル花外楼で総会を開いた。今年は幹事の中川君が怪我をし療養中のため鈴木君と久富君にお世話になった。集まったのは17名であった。
今年は木下恭二君が亡くなられました。ご冥福お祈りします。83 ・4歳もなって東京を合わせると40数名も同窓会に集まることは多いのか少ないのか分からないが考えられなかったことです。耳が遠い人や体の調子の悪い人も多かったがともかく健康に暮らすことが大切です。頭と身体を適当に使い食物に気をつけて絶対に転ばぬように注意してください。昭和生まれは次第に減ってきますが何とか子供や孫が教えられなかった昭和の美しい日本を語り伝えてほしいものです。もう我々の生存中に日本がよくなるとは思えませんが元気で過ごせる世の中にしたいものです。
(吉川和彌 記)
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中46回(東京うだつ会)

2013年05月15日(水)更新

第19回「東京うだつ会」(第46回[昭和20年]卒、首都圏在住者同窓会)を、今年は場所を変えて、霞ヶ関ビル35階、東海大学校友会の一室で行った。
10名が入院、急病、家庭療養中、遠距離などで欠席の回答だったが、開会して程なく、吉本君が、杖を突きながら、付き添いの奥さんと共に現れ、全員拍手で出迎えた。これで参加者は、奥さんを入れて10名となり、昨年を1名上回った。今後の参加の在り方の一つではないだろうか。
例により、西田君の開会の挨拶、続いて長谷川君の時事講演、上田君の音頭による乾杯に始まり、12時~ 14時の予定を大幅に超過して和気藹々の間に、来年の再会を期してお開きとなった。

写真は左から清水、佐藤、長谷川、上田、西田、下田、彦坂、山上(吉本夫妻は撮影に間に合いませんでした)(敬称略)

(山上 記)
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