高6回「橋先生の長寿を祝う会」96歳先生と劇的対面

2025年05月14日(水)更新
◆高6回「橋先生の長寿を祝う会」96歳先生と劇的対面◆
橋先生の長寿を祝う会
2025年4月18日 於 千里山音羽鮨 茨高6期生有志

会員制倶楽部としての“茨高六期会”は、昨年の米寿同窓会で、幕引きとしましたが、本年4月18日、橋先生が九十六歳、9度目の十二支(巳年)を迎えられるのを祝い、有志6名の呼びかけにより「橋先生の長寿を祝う会」を、先生のご自宅近くの「割烹・音羽鮨千里山店で、開催しました。
参加者19名のほか、記念品代を託された方が14名、合計33名の参画者を数え、今更ながら先生の人徳の大きさを感じさせるイベントとなりました。
ただ、先生ご夫妻(あわせて190歳)への、感染症罹患のおそれから、担当医による、先生の宴会出席の許可が出ず、宴席の後、足腰に自信のある有志が先生宅を訪れ、代表よりご祝詞を申し上げることとしました。
当日、玄関先まで出てこられた先生から、有志7人それぞれに声をかけていただき、6年ぶりのこととて、両者感極まって涙する感動的な対面となりました。
さて、この会を今年限りとせず、先生ご存命中は、「橋先生にあやかって長生きする会」として、継続して欲しいとの声もあり、幹事持ち回りで続行することを検討中です。(学年幹事 橋本忠之)
 
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私たちの高6期仲間、浅田敏一君

2022年10月17日(月)更新
◆私たちの高6期仲間、浅田敏一君◆
「日本最大の暴力団、山口組に挑んだ高6生、弁護士の浅田敏一君86歳死去
(2022.9.25)」
 
私たちの高6期仲間、山口組五代目渡邉芳則組長を窮地に追い込んだ男、浅田敏一君が2022年9月25日死去した。 サラリーマンから一念発起、弁護士になり、暴力団対策に取り組んだ。1990年、山口組の抗争で暴力団幹部に間違えられて射殺された警官の“京都事件”で、遺族が渡邉芳則組長らに起こした損害賠償訴訟の弁護団長を務め、2004年、最高裁で、事件には直接関与していない渡邊組長の〝上司としての使用者責任”を認める判決を勝ち取った。組織暴力に対する市民の被害救済に尽力した熱血漢だった。
(高6茨高六期会だより編集長、中西隆夫) 

***久敬会より***
浅田氏ご逝去についての記事はたくさんありますが、そのうちの一つ『読売新聞オンライン』をご紹介します。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220927-OYT1T50216/
久敬会

高6回 喜寿の集い

2013年05月15日(水)更新

2012年6月16日(土)午前11時30分から午後2時30分まで、大阪駅のホテルグランビア大阪(20階)で、高6回生喜寿の同窓会を開催しました。3名の先生のご来駕をいただき、総勢90名の参加となりました。会場に掲げられた同窓会の文字は橋先生の揮毫で、日展入賞の橋本夏子さんの協力もいただいた。
開催の前に集合写真を撮り(写真担当は、写真コンクール入賞経験をもつ宮野智彦氏)、植村冴子さんの司会で、世話人代表浅田敏一氏の開会挨拶からはじまり、喜寿の集まりをもてた喜びをわかちあった。
一昨年5月30日の同窓会以降、7名の物故者があり、まず黙祷。冥福を祈るとともに往時を偲びました。つづいて恩師のご挨拶では、橋敏昭先生から「教師赴任と6回生入学が同じ年だったので同期の桜である」、青木昭二先生からは、バドミントンを共にやってきた人との再会の喜びやインターネットで「青木昭二」のホームページを開設されていること、田中宏子先生からは「配偶者を大事に家事も分担していくことが老後の心得」といったお話をいただいた。乾杯の音頭は、世話人以外で、一番に会場にこられた荒木園子さんにお願いし、11のテーブルにわかれ会食、歓談をしました。
その間、出席者の紹介があり、あっという間に刻は過ぎ、大西利幸氏の閉会の挨拶のあと、久敬会コーラスで、毎月第2日曜日に指導をしている作田達也氏が、橋先生の替え歌「同期の桜」を披露。校歌を斉唱してお開きとなりました。
次回は、傘寿の集いをめざし、学年幹事の森田亮輔氏に託して再会を期しました。二次会は、今回世話人のほうでは準備しませんでしたが、関東からも多数出席いただき、車椅子での参加もありました。出席の返事と共に寄稿してもらった「喜寿を迎えて」と題する文集と記念写真を後日郵送する予定です。当日、学校の写真集の予約も受け付けました。今秋開催予定の高6回ゴルフコンペの案内も本多了氏からありました。

(岸田準二 記)
psfuku
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